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1.童話と伝説 |
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2.グリム兄弟の業績 |
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3.童話の収集 |
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4.「シンデレラ」 |
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5.「蛙の王さま」他 |
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グリム童話集の最初の物語である「蛙の王さま」Der Froschkönig (KHM1) という話の場合、
これは比較的よく知られていると思いますが、
「あの蛙がまさか城まではやって来まい」と、その姫は、高を括っている。
しかし、案に相違し、蛙は、のこのことやってくる。
そして父親には、「約束したことはその通りにしなくてはならない」と、きつく言われる。
それでやむなく、姫は、蛙の言うなりに、食事を共にするのであるが、
蛙の要求はそれだけでは収まらない。
こんどは、「ふたりで一緒に寝よう」と、蛙は言う。 |
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それで、姫はいきり立ち、その蛙を拾い上げるや、壁を目がけて投げつける。
すると、その壁にぶつけられた蛙が下に落ちたときには、王子様になっていた、
という話です。
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Diese zwei Zeichnungen oben,
aus: Brüder Grimm. Kinder- und Hausmärchen.
Verlag Carl Ueberreuter. 1971
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この話を鑑賞するに、
「この、蛙を壁に投げつける場面が、注目に価する」、という意見があります。
その際、たとえば、
「最後に、かよわい女の子が全存在をかけての対決の決意をした」という解釈などは、
まっとうで健気な解釈で、無難ではあります。
が、もう少し深く掘り下げて、「契約の履行との心的葛藤」という観点から分析をしたり、
あるいは、
「忍耐の限度を超えて生じた殺意も、けっこう重要なモチーフではないか」という見解もあります。
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昨今、日本で少し話題になっていた話で、
「子どもたちが遊びに屠殺をした話」というのがあります。
これは、「まだ五・六歳の、幼い子供たちが、子供同士の慰みとしての遊びの中で、
屠殺者や豚などの役割の分担をし、
豚の役になった者の喉を、ナイフで、ほんとうに切裂いてしまう」、という、
現代の猟奇的な事件にも当て嵌まりそうな、きわめて衝撃的な話ですが、
分量は文庫本にして、わずか1ページ足らずです。
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この話はグリム童話の初版にはあったのですが、
「あまりにも残酷な話なので、再版以後に削られた」と、言われています。
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しかしながら、
「殺傷」が何らかのかたちで取り扱われている話は、けっこうあります。
数えた人の話では、グリム童話全体の4分の1ぐらいだそうです。
これだけ多いということで、
このテーマは、しばしば、精神分析や深層心理学の研究対象にもなっています。
殺したり傷つけたりすることは悪い、というのは、言わずもがなのことでありますが、
例えば、
「我々の心の奥底には、そういう行為と関わりをもつ何かが存在しているのかも知れない」、
「これは生存競争という現実の持つ厳しさのひとつであり、
殺傷をテーマにした物語は、そのような現実との関連を示唆しているのでないか」、
というような解釈をする人もいます。
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「仲間同士の猫とねずみ」Katz und Maus in Gesellschaft (KHM2) という話では、
ねずみと一緒に住んでいた猫が、何度かずるい行為を重ねるのですが、
さいごの最後に、自分の悪事がばれて、ねずみに文句を言われると、
「その猫は一足跳びにとびかかって、ねずみをひっつかみ、
ぐうっと、まる呑みにしてしまいました。
どうです、世の中はこんなものですよ。」
で、話はおしまいです。 |
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あるいは、「ふくろう」Die Eule (KHM174) という話では、
フクロウが、迷って、ある町の納屋に入ってしまうのですが、
この納屋に入り込んだフクロウを、
町のひとびとは、てっきり「妖怪変化」のたぐいと思い込み、
何とか退治しようと、大挙してやってきます。
しかし恐怖が先立ち、とても手が出せない。
思いあぐねた挙げ句、納屋に火をつけます。
それで、けっきょく、フクロウは、納屋ごと焼き殺されてしまう。
人間の方は、怪物を片付けて、やっと安眠できるようになったのでしょうけれども、
フクロウの立場にしてみれば、濡れ衣を着せられての惨殺ですから、ひどい話です。 |
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6.「千びき皮」とオイディプス伝説 |
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7.ドイツのある大学からの依頼 |
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