この四年間に、何か手に職を覚えて出よう。これからは洋服を着る者が多くなるから靴の商売も良いなと考え、担当看守に頼んで靴工場で働くことになった。指導の技術職員の下に十五人の工員が居る。中に五十を過ぎた慣れた囚人が居た。何でも八年の刑と聞いた。どんな罪かは聞かないことにした。この男が親切に指導してくれた。意気込みと言うものは恐ろしいもので、これ迄の服役と違い将来に夢が持て、張り合いが出来た。四年の刑も無事に務め上げ、賞与金も勿論これ迄のどの刑のときよりも多かった。出所前から、落ち着き先は小樽と決めていた。先ず就職だ。これ迄は前歴を隠していたが、今度は何も彼も承知の上で使ってくれる先を見つけようと思った。しかし、誰れ彼に頼むと言う訳にも行かない。自分の過去をよく知っていて、社会的にも信用のある人の口添えが無ければ駄目だろう。そうだ、安藤刑事に一つ頼んで見よう、と思いついた。
 車中で心に決めたので、小樽駅に着くと直ぐ小樽署に行った。受付の窓口で
「安藤刑事さんまだここにお出でしょうか」
 と聞く
「ああ居るが、あんた誰だね」
 と聞き返した。まだ勤務していることが判りほっとする
「前にお世話になったことのある杉本です、お会いしたいのですが」
 こう言うケースはよくあるのか、受付の警官は
「一寸待っておれ」
 と言って電話を掛け
「今来るそうだから」
 と言う。間もなく見覚えのある安藤刑事がやって来た
「七年前掏摸で捕まった杉本です、御無沙汰しております」
 と頭を下げた。矢張り刑事は、犯人の特徴をよく覚えるものか、清吉の顔をまじまじと見て
「ああ、あの帯広の競馬場での」
 と思い出してくれた
「元気で何よりだ、今何している」
 と聞く
「実は一寸お願いしたいことがあって」
 と言うと
「まあ、兎に角部屋に来い」
 と言って刑事部屋に連れて行って椅子に腰掛けさせ
「用事って何かね」
 と言いながら茶碗にお茶を注いで出す
「済みません、実はその後また函館で掏摸をやり、四年の刑を受け今朝釈放になったんです」
「うんそうか、それで」
 と安藤刑事は促す
「私も今度の刑期中よく考えました」
 と一日一銭しかならない馬鹿馬鹿しい人生であったことに気づき、自分で吃驚したこと更生を決心し、前歴を明かして雇って貰い働く決心であることを訥々と話した。刑事にとって、更生のため自分を頼って来ると言うことは嬉しいことである。何とか更生に力を貸してやりたいと思う
「よし、それでは一つ心当たりを当たって見よう。いま、金あるか」
「一週間ぐらい安宿に泊まるくらいは持っています」
「そうか、明日朝また来て見れ、今度は生まれ変わった積もりで頑張れよ」
 と励ます。清吉は、思ったよりうまく事がはこんだので、今度こそ確りやろうと改めて心に誓った。
 安藤刑事の骨折りで、緑町の土木請負業大浜組に雇われることになった。大浜組の親方は侠気に富んだ男で
「安藤さんから話しは聞いた、わしも力になるから頑張ってくれ」
 と励ましてくれた。下宿も大浜親方が見つけてくれた。後は清吉自身の努力次第である。
 大浜組の仕事は土工と鳶の仕事が主であった。慣れた職人の言うことを良く聞いて働いたので、同僚の受けもよかった。前歴者であることは、親方夫婦が知っているだけで、人夫等は誰も知らない。安藤刑事も会いに来ず、ときどき、親方に電話で清吉の様子を聞き、激励の言葉を伝えてくれと言うだけだった。生まれて初めて、暖かい周囲に守られて人並みの生活が出来る自分を確かめて、更に力が湧くのである。
 このようにして二年が過ぎた。金遣いにも気を付け、何時かは小さくても自分で店を持ちたいと思い続けて居たので貯金も増えた。下宿のおばさんも、清吉の働き振りを見て、早く家内を貰って身を固めたらと勧めるようになった。おばさんの茶呑み友達のおかみさんから
「どうだろういい女の人がいるけど」
 と話しもあった。しかし、一度失敗しているので、顔形より人柄をと言う希望も言い、その上で小田ヨシと結婚した。家も二間だったが、下宿の近くに見つけた。
 ヨシには前歴は話さなかった。これは親方の忠告であった。ヨシは最初の妻と違い、地味で働き者であった。商売好きで、荷車を曳いて野菜の行商を始めた。朝早く市場に行き野菜を仕入れ、町内を触れ売りするのだ。値も安く、人受けも良いので客もヨシの来るのを待って買ってくれ、殊に下宿のおばさんは大口の客であった。清吉の方は、入口に「靴修理教します」と書いた木札を下げ、夜内職に靴の修理を始めた。共働きは、段々に余裕が出来た。翌年長女則子が生まれたが、ヨシは、子どもを背負って行商を続けた。
 人間良くなるときは、幸運が追いかけて来るようである。刑務所内の作業は、手抜きしないので有名だが、其処で覚えたため、清吉の修理は評判が良く客も増えて来た。結婚四年目に清吉はヨシに、資金も出来たので本格的に靴の修理業をやりたいと相談した。ヨシは
「あんたがやりたいと言うなら反対はしない、しかし、最初から手を拡げないで、様子を見ながらやりましょう、私も、行商しながら注文を取って来るから」
 と言い清吉もそれに従ったが、更に一年も経つうち修理の方は内職では捌き切れなくなった。ヨシとも相談の上、親方に靴修理業を専門に始めたいと相談した。親方は、商売が思わしくなかったら何時でも来いと言ってくれた。自分が確りしておれば、人も情けを掛けてくれるものだと清吉は思う。曾って、自分程不運な者はないと、世の中を恨んだことは心に浮かばず、ただ、幸運の中を前進していた。皮革問屋とも顔馴染となった。その内、日支事変、第二次大戦と続き皮革も統制となったが、どうにか商売を続けた。ヨシは、働き過ぎからか、次女を生んでから体調を崩し行商をやめた。
 やがて終戦となり、一層の食料不足に皆が苦しんだ。しかし、死んだ人には申し訳ないが、ほっとしたような気持ちになったのは事実である。
 清吉は、これから世の中が落ち着くに従って、生活必需品である靴の商売は見込みがあるなと考えていた矢先、問屋で、靴屋で店を譲りたいと言う人がいると聞き、早速当たって見た。店は市内の繁華街にあったが、年寄り夫婦で、息子が戦死したので商売を廃めることになったのだと言う。小さな店であったが、ヨシと相談の上買うことにした。これで、店らしい店を持つことが出来た。村を出てから三十年、やっと一人前になったと思う。このようにして昭和二十三年既製品も扱うようになった。同業者も余り多くなかった頃で、営業も順調であった。長女が高校を出てから店の手伝いをし帳簿関係を一切やってくれるようになり、店も専ら既製品のみを扱い、漸く清吉は、ゆったりした日々を送れる身分となった。現在歳も六十六となり後は、娘二人に良い結婚をさせ、親の役目を果たすのが残された仕事である。
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