十一
 山本は、一語をも差し挟まず、じっと杉本清吉の供述を聞いていた。この男の顔に刻まれた何本かの深い皺が、話しを傍証しているかのようである。この男は恐らく誰よりも深い人生の谷底を歩き、自分で這い上がったのだなと、じっと顔を見る。それにしてもこの男は、どうして疑いを受けるようなことをしたのであろう。刑事や警備員の思い過ごしだったのであろうか。しかし、尾行して度々当たりをつける挙動を見た上での逮捕である。見間違いとは思われない。身の上の供述が終わるのを待って質問を始める
「当日一日の行動を話して見なさい」
「あの日は、長橋小学校付近の知人の太田さん方で無尽があったので昼頃家を出ました。出るとき、家内に話して、娘に二万五千円の小切手一枚を作らせたのです。私の分三本、岩本さん二本、三浦さん分三本合計八本分で、一口五千円掛けでしたが落とさないのがあったので一口三千幾らでした。太田さん方で、人の集まりが悪かったので小切手を預け、一時頃太田方を出ましたが、これと言う仕事も無かったし、博覧会の券が祝津会場分だけ余っていたので一つ行って見ようと言う気になったのです」
「その時の服装は」
「はい、天気が良かったので、上衣は着ずワイシャツにズボンでした」
「小切手の控えはあるね」
「家内に聞いてもらえぱ判ります」
「会場に着いてどうしたかね」
「水族館内が混んでいたので一旦館外へ出て、売店でパンを二個とラムネ一本を買い、立ったまま、人混みを眺めながら飲食しているうちに、ふと、昔の自分であったら、このような雑踏の中に入った場合、きっと掏ろうと言う気持ちになったろうな、と言う考えが頭に浮かんだのです。そして水族館内の人混みに入っている内に、人の尻ポケットを見ては、自分は力仕事をして来たため指が太く、尻ポケットに指を入れて陶ったことはなかったが、刑務所の中で会った陶摸の中には、ズリバンと言ってズボンの後ろポケット専門に掏る者も居たが、よくこんな狭いところに判らないように指を入れるものだなと思いながら、何人かそれとなくズボンの尻ポケットに手を触れました。後で刑事さんが、当たりをつけているのを見て尾けていたと言いましたが、成程第三者が見た場合、そのようにとられる動作であったと思います。しかし、掏る考えは無かったのです。三十分位して帰ろうと思い、バスの乗車場に行きましたら、バスを待つ客が百人ぐらい居たと思います。もう四時頃になっていました。列の中に混じって順を待って居るうち、私の後ろから三人連れの若い男が、割り込んだら少し早く乗れるのでないかと言って、人垣を割って前へ出ましたので、私もその男等の後ろに尾いて行けば早く乗れるのでないかと思い尾いて行ったのです。その男達は、それ以上前に出れず止まってしまったので私も止まりました。それで、余り体が接近し前の男の上衣の裾が私の左手に掛かるようになっていたかも知れません。尾いて行く間に、その男の上衣右ポケットに手が当たりましたら、固い物でポケットが膨らんでいましたから、カメラでも入れていたのでないかと思います。しかし、その男の尻ポケットに手を入れたり、わざと尻ポケットに触れたことは無いのです。私がその男に続いて二分くらいもそろそろ歩いていると、左後ろの方から男が、覆い被さるように何か叫んで、私の左手を親指の上から掴んだのです。一寸遅れてもう一人、警防団の服装をした背の余り高くない、顔の平べったい男が、矢張り私の左横から左肘のあたりを掴んだのです。最初私の手を掴んだ人、刑事さんですが『現行犯だ』と言ったので『何をするんだ』と言い返して手を放そうとしました。前の男も振り返って、私がその男のポケットから陶ろうとしたと思ったのか、刑事さんに何も取られませんよと言ったのですが、兎に角来てくれと言われ、私と一緒に臨時警察官詰所に連れて行かれたのです。私が掴まえられたのは左手と左腕で右手や右腕は誰にも掴まれません」。
 この場面の状況について臨時警備員川辺和夫は、警察官の調べに対しては右腕を掴んだと言っているが、検察官に対しては左右はっきりしないと言い、逮捕刑事の供述でもこの点はっきりしない。
「詰所に行って、警防団の人は帰って行き、私は机の前に坐らせられました。刑事さんが、所持金を出せと言うので、右尻ポケットに塵紙に包んで入れていた十円銅貨六個を出し、これは家から持って来た自分の金だと言いました。刑事さんは『窃盗未遂の現行犯だ』と言ったので、私は『何が現行犯だ』と言い、机に向き合っていた刑事さんの左手を二回叩きましたら、刑事さんが『公務執行妨害だぞ』と言い私の左腕を殴ったので、私はそれ以上手向かいませんでした。刑事さんは、制服の警官に私を頼んで、被害者になる男を連れて外に出、暫く話しをしていましたが、又中に入り、本署に電話して車を呼ぴ、間もなく来た車で本署に連れて来られたのです」
 杉本清吉は一息ついて
「話した通りです。他人の尻ポケットに手を触れ、他人が見れば掏摸だと思われる行動を取ったのは重々悪かったと思いますが、盗もうと言う考えはありませんでしたし、捕まったとき、前の男の尻ポケットに手を入れたりしません。店の帳面付けや金の出し入れは長女がやっており、金の欲しいときは家内に言い、家内が娘から受け取って私に渡してくれます。欲しいと言えば必ずくれますし、別に飲み歩くことも無く、賭事もしませんし小遣いに不自由したことはありません」
 言葉を切って小首を傾げ「どうして古い昔のことを思い浮かべたのか、自分でも良く判りません、別に小遣いに不自由して居る訳でも無かったのですから」
 言いながら山本の顔を見る。自分の話すことが、相手に信用されて居るかどうか、窺うような不安な目である。五時半の終業のベルが鳴る。
「今日は時間が来たから明日又聞く、差し入れはあったかね」
 と尋ねる
「はい、日用品の差し入れがありました」と言い、看視の警官に促されて椅子から立ち上がった。
 翌日午前中杉本の家内を呼び出した。思った通り家内は杉本の前歴については知らないようだ。
「主人は、商売第一の真面目な人で、ここ二、三年は店の方は私と娘に任せ、不自由なく暮らしております。小遣い銭も欲しいと言えば何時でも渡しており、捕まった日も、無尽の金を小切手にした他小遣い銭として三千円を渡しました。一体主人は何をしたのでしょうか」
 と聞く
「いや、まだ事実がはっきりしないので言えないが、留守中は店をよく守って下さい」
 山本は、最後の最後まで、杉本の前歴は秘して置いてやろうと思う。
 刑法上では、禁錮以上の刑に処せられた者でも執行を終わった者は、その後十年以上の間罰金以上の刑に処せられないときは、以前の刑の言渡しは効力を失う旨が規定されている。杉本の場合、刑を終わってから二十年を過ぎ、今は靴底の主人である。更生の努力は十分である。前歴は考慮すべきでない。但、事実かんんけいを確定するのが先決である。
 それにしても、参考人である臨時警備貝の供述が一寸気になる。検察庁などと言う、固苦しい役所へ初めて来て上がってしまったのか、供述に今一つ確かなところがない。警察に於ける供述と喰い違いがあり、それを確かめるとしどろもどろになる。初めて掏摸犯人を捕まえた昂奮で、当時の状況をよく記憶していないのでないか、供述に想像が混じって居るのでないか。このような供述は、刑事の供述の信用性にも影響を与えることになり兼ねない。殊に、掏摸の未遂犯となれば、「ポケット」に指を入れて初めて着手となる。当たりをつける程度では未だ予備の段階で、犯行の着手とは言えない。窃盗罪には予備の処罰規定がない。ことは、ポケットに指が入ったかどうかである。否認のまま起訴しても、目撃参考人の供述では弁護人の反対尋問に堪えられるかどうか不安である。
 翌日午後、留置場から杉本を呼び出す。
「昨日に続いて尋ねるが、供述を拒むことが出来ることは最初に言った通りだ。さて、昨日の話しによると、昔を思い出してポケットに触れたと言うが、只、昔の自分であったらきっと掏ろうと言う気になったろうなあと思い出したのなら、心に思っているだけで留まっていてよかったのではないか、そう出来た筈だと思うがね、わざわざ人に疑われるような当たりをつけなくてもよかったと思うがどうかね。それ以上のものが、心に押さえ切れないものがあったのでないか」
 杉本は頭を下げて何も言わない。
「何回も繰り返しているのでね、どうも納得行かないのだが」
 杉本の肩が微かに震える。
「済みません。実は昨日申したように、人混みの中に入ったところ、昔自分が間違いをしたときの状況を思い出し、むらむらと掏って見たいと言う気持ちが起きたのです。別に金に困っていた訳でも無く、金が欲しいと言う気持ちがあった訳でもなかったのです。自分でもどうしてあんな気持ちになったのか判らないのですが、掏って見たいと言う気持ちをどうすることも出来なかったのです。それで、三、四人の人のポケットに当たりをつけたのですが、もし捕まったら、折角二十年以上も苦労して現在の店を築き上げたことが、水の泡になって終うと心の底で呼び返す声がし、この二つの気持ちの戦いでした。しかし、捕まったら自分一人のことでなく、妻や娘も路頭に迷うことになり、自分も畳の上で死ねなくなると思い返し、早く人混みの中から逃げ出さねば、誘惑に負けて終うと思い、会場外に出たのです。場外に出て私は、ああ良かった、間違いをせずに済んだと、ほっとしたのです。私を尾けていた刑事さんや警防団の人は、掏摸だと思って監視していたので、私の手が前の人の尻辺りに行ったのを見て、掏るのだと早合点したのでないかと思います。何れにしても、このような行動をして、場内監視の人々に対し済まなかったと思っております。今後は一層心を引き締めて、間違った考えを起こさないよう注意しますから寛大に願います」
 言い終わると杉本は深々と頭を下げた。供述調書を作成して被疑者を帰し、山本は記録を前にして考える。逮捕者二人と被疑者の供述は、犯行の着手があったかどうかと言う点で相反している。被疑者が説明のつかない金を所持していた訳でもないし、生活に困っている訳でもない。とすれば犯行の動機は盗癖だけとなる。獄中で自ら、過去の行為が如何に人生にとって無意味であったかに思い当たり、更生を決意して二十年余常人以上に充実した人生を築き上げたのに、どうして今更過去の悪心が蘇ったのであろう。清吉の更生は、神に誓約したものでも無く、仏の慈悲に縋った上でのものでもなかった。それは全く彼自身の力に依ってであった。営々努力二十年、物心両面で安定した生活を送るようになった今、心の緊張が緩んだのでないか、人生の目的を達した今、心の片隅にぽっかり空隙が生じたのでないか、彼は雑踏の中に入り昔の自分を思い出したと言う。苦難を乗り越えて成功した者が、昔の苦難を、寧ろ懐かしく思い出すことは往々あることである。掏摸に全く素人の臨時警備員に、直ぐそれと怪しまれるくらい無防備の行動であったことから、そう思えないこともない。しかし、盗みの予備行動にまで出たのはどうしてであろう。心に追想するだけでは押え切れないものがあったのであろうか。神に誓った更生なら、仏の慈悲に縋っての更生ならどうであったろう。恐らく邪心が頭を持ち上げたとき、神仏が心の支えとなったのではなかったか。吸い殻とは言え、金内検察官の灰皿に手を出した彼である。欲望の前に、自分の置かれている立場を考慮することさえ出来なかったのだ。自力には限界があるのであろう。所詮人間と言う者は、このようなものであろうか。人間完成への道は羊腸として遠い。
 さて、この事件はどう処理したら良いだろう。仮に窃盗未遂が成立したとして、起訴することが相当であろうか、第一、実害がない。第二に、刑期を終えて二十年を経過しており法律的に刑の言渡しはその効力を失っており、況して、社会的にも過去を知る者は無く、近隣の信用を得て、善良な一市民として生活している。第三に、妻及び二人の娘と平和な家庭生活を営んでおり、もし起訴するときは一家は崩壊し、その害たるや、本件によって社会的秩序に及ぼした害より遥かに重大である。加えて公訴を維持するに証拠上難点がある。逮捕者に、犯人がバスに乗る前にと言う焦りがあったのでないか。とすれば消極を採るべきである。杉本は勾留満期の十日目に釈放された。
 山本が二度目の小樽勤務となった昭和三十九年の秋、勤務中電話が掛かって来た。相手は女

「杉本清吉の家内でございます。六年前主人がお世話になりましたが、今、市立病院に入院中でございます。容体も思わしく無く、貴方に是非一度お目にかかりたいと申して居りますので、大変ご迷惑とは存じますが、車を差し向けますのでご足労お願い出来ませんでしょうか」
 と言う。山本は、時々あの老人はどうしているかと思い出して居たので、直ぐ思い当たった
「あの北海道博覧会の時の人」
 と念を押すと
「はい、その節はお世話になりました」
 と礼を言う
「今仕事中なので、昼休みに伺います」
 と言って病室の番号を聞き電話を切った。あの老人はいよいよ人生の終着駅に来たのか。それにしても、矢張り忘れずに居てくれたのだな、その後の生活は無事だったのだなと思う。昼休みにハイヤーで市立小樽病院に行く。五階二号室に杉本清吉の名札がある。ノックすると返事があり、見覚えのある女が顔を出す
「電話のあった山本です」
「わざわざお呼び立てをしまして申し訳ありません、どうぞお入り下さい」
 と言う。中に入ると個室である。重体なのだなと思う。ベットに仰向けに寝ている男は、あの時の杉本に間違い無い。特徴のある窪んだ目は、今は光も衰えている。
「如何ですか、山本です」
 杉本は掛け布団から右手を出した。山本はそれを、手の背の上から握ってやる。杉本は、山本の顔をじって見つめて
「一度お会いしたかったのです」
 と言う。目が潤んでいるのが判った。山本は嬉しかった。虐げられ通しで前半生を過ごし人間不信の強かったこの男が、おそらく人生の最後になろうその時に来て、人を信じたのだ。
「昼休みに抜けて来て時間がないが、大事にしてもう一度元気になって下さい」
 そう言って病室を出た。
 二日後杉本の妻から
「今朝主人が亡くなりました、どうも有り難うございました」
 と電話があった。この日、小樽港は波一つなく、水面は強い秋の陽を照り返して、祝津の日和山灯台も、青い海にくっきりと映えていた。
了    
      昭和五十七年三月
< 前のページ