倉庫と一棟になった宿舎は、太い材を使った確りした建物で、今までの飯場とは非常な違いである。それよりも、冬の暖房は薪をふんだんに燃やし、食事など主人の奥さんがなにかと心を配ってくれるのがなによりで、やっと人並みの生活が出来たと清吉を喜ばせた。他の四人の住み込み人夫とも打ち解けて話しが出来るようになった。しかし、身の上話しは喋らない。
 仕事に励みが出た清吉は、小頭の教える手順を積極的に覚えようとし、指図をよく守った。馬の扱い方や木の種類を覚えたのもここである。月一度親方を交えての仕事の打合せの際や、正月、祭りに酒が出ても呑めないと言って呑まなかった。初めのうちは酒を勧めていた同僚も、一年もすると呑まないものと決めて勧めなくなった。
 冬山造材に入ると臨時人夫も増え、常傭人夫の内からと、毎年来ている経験者の中から子頭が出て、幾組かに班を作り仕事をするが、三年目から親方の信用も出て子頭となり、人夫何人かを預けられるようになった。
 こうして六年目の春、親方が借金で潰れたのでやめねばならなかった。その頃は、小金も溜まっていたので、念願の、自分で商売をしようと思い、旭川市内で荒物屋を譲り受け、造材山で下で働いていた青年を店貝に雇った。この青年は、二年程親方の処に住み込みで働いて居たが、信用出来そうに思い話すと、仕事の当てもないからと承知してくれた。少しでも気心の判った人間が良いと思ったからだ。思った通り店員の山田は良く働いてくれ、営業成績もまあまあと言うところで、清吉は益々将来に希望を持って働いた。商人擦れしていないところが反って良かったのか、常客も出来た。
 さて、商売も忙しくなると、男同志交替の炊事も何かと不自由で、二年程して世話する人があり花田貞子と結婚した。時に清吉は三十七才、貞子は三十才であった。自分で店を持ち、家内も貰って世間並みの家庭を持つことが出来た。例え罪を犯しても、その後の心掛け一つでちゃんと生活は出来るのだ「おっかあ、俺もお蔭様でここまでやって来た」と心で母に報告する清吉であった。
 しかし、この人生の喜びも永くは続かなかった。貞子と夫婦になって三年程経った頃、どうも山田の様子が変だ何か自分を避ける素振りが気になった。しかし、あれこれ考えても理由が判らない。その内、妻の自分に対する態度にも変化の起きていることに気付いた。二人の変化には繋がりがあるのではないかとの疑いが生まれた。
 初めは、自分の誤解かとも思い直して見たが、時が経つにつれ只ならぬ仲になっていることをはっきり知った。.
 清吉には、夫婦間の機微に気を配るような心の余裕も知恵もなかった。それに子供が出来ないことも、妻を日々の生活に飽きさせた原因だったかも知れない。
 清吉は、惨めになる気持ちを押さえて、二人に不貞の行為を止めてくれるよう頼んだが、さっぱり効き目はなく、悶々の日々を過ごしたが、心も荒んで行った。町内の遊び上手の商店主に頼んで、遊興の手引きをして貰ったり、博打をしたりして見たが、気の晴れる道理はない。もう自棄くそになってしまっていたとき、永山村の祭りに商売に出たが、自制心は無くなってしまっていた。通行人の上衣ポケットから一円札三枚を掏摸取ったが、これも他の通行人に取り押さえられ警察に突き出された。
 むしゃくしゃした気分でいたことは事実だが、どうして掏摸をしたのだろう。掏摸の快感で憤懣を晴らそうとしたのであろうか、清吉自身、はっきりした理由は言い表すことは出来ない。元々盗癖があるのだろうか。
 この事件で、旭川区裁判所で懲役六月の刑を受け服役した。服役中に家内と離婚し、店は他に売ったが商品の仕入れ代や借金を払うと残りは僅かしかなかった。家内と山田がその後どうなったか判らない。
 それにしても、俺はどうしてこうも不運なのだろう。休日毎にある、教誨師の法話にあったように、前世の悪行の報いなのであろうか、それにしても仏様は、いい加減に許してくれてもいいではないか。監房の布団の中で、暗い天井を見つめながら清吉は思うのである。
 三回の服役で獄内の立ち居振る舞いが要領良くなったと自分で気付き、腹立たしさを覚えた。
 六ヶ月の刑期も忽ち過ぎ、出所は極寒の二月だったので、幾等か南の小樽で仕事を見つけようと考え小樽に来た。
 初めての小樽は仲々活気があった。早速浜人足の仕事にありつき、安宿に泊まって日雇い仕事をした。しかし、家庭を壊された心の痛手は仲々消えない。ともすると、酒で悲しみを紛らすことが多くなった。心の奥底で、何とか立ち直らねばと言う声が時々聞こえる。
 ひと月ぐらいしたころ街で、札幌の伊藤木工場で人夫募集をしている広告を見て、定職に就いてもう一度頑張ろうと言う気持ちになり、早速札幌に行ったが、一足違いで、人数が一杯になったと言うので仕事に就けなかった。
「畜生、何処まで俺を苛める積もりだ」
 清吉は遣り場のない怒りが込み上げて来た。相手が誰と分からないが、世の中全部が自分を苦しめるのだと思う。よし、それなら俺だって仕返しをしてやる。いつの間にか川に沿って歩いているうち、人の雑踏している所に出た。小屋掛の店が連なり、買い物客が右往左往している。小屋の端に二条市場と書いた柱が立っている。
 清吉は、その雑踏の流れに入り、陳列台に並べられた食品を見る風をして客の隙を窺っていた。魚屋の前で男の客が上着の外ポケットから財布を出して鰊を買い、魚を手提げ篭に入れ財布を右ポケットに戻して、人の群れの仲を歩き出したのを見てその後ろから接近して行き財布を抜き取ったが気付かれ、その場で取り押さえられた。俺は何をやってもついていないなと思った。
 この盗みで、札幌区裁判所で一年の懲役刑を受けた。悲しいことに、度々の受刑で刑務所生活にも馴れたようだ。監獄部屋の経験があるので。作業は苦にならない。時間的に規則正しいし、要領よく立ち廻れば毎日を無事に過ごすことが出来る。雑居房にも馴れた。同房者の仲に、自分の犯した罪の自慢話しなどする者がいるが、ただ聞くだけである。受刑者は、喋る者、聞く者とりどりだが、皆満期釈放の日を待っている。三度三どの食事に心配なく、病気になれば医者にも診てもらえる。たまには慰問の演芸さえある。しかし、厚いコンクリートの壁で一般社会から隔絶された橿の仲にいると言う重圧感と、心の底に潜んでいる良心の呵責が、一日も早く艦から出て自由になりたいと言う思いを夫々の胸に秘めさせているのである。清吉も同じであるが、いつの間にか拘摸の場面を想像して、あれこれ成功する方法を考えている自分に気付き、俺も浮かばれないのかなあと、舌打ちをするのだった。
 一年の刑を終え出所したのは桜の頃であった。直ぐ小樽に来た。別にはっきりした職の当てがあってのことではないが、なんとなく小樽へ足が向いた。
 支給された賞与金で一晩安宿に泊まったが、朝新聞で、帯広で競馬があることを知ったので、よし、行って一仕事しようと考えた。服役中、今度陶摸をやるなら、人が夢中になる競馬場がいいと考えていたので、早速実行することにした。もう一人前の掏摸師である。心が荒んでしまったのか何の抵抗も感じない。
 競馬場はすごい人出である。馬券購入窓口の前は、押し合いへし合いの大混みである。規則よく並んで買えばよいのに、いや、こう押し合ってくれた方が仕事がしやすい。清吉も群衆に混じって、前後に押し合いながら少しづつ前に進む。目は周囲の人々の動きに注意し、手で前の人のポケットに当たりをつける。前の男がポケットから財布を出し、何枚かの札を抜いて財布をポケットに入れた。清吉は、自分の体を前の男のポケットに密着させながら「幕」にする。手許は見えない。窓口が近いので周囲の人も「幕」になってくれる。うまく掏摸取りズボンのポケットに入れながら後ろに
「押すな押すな」
 と声を掛ける。自分も一枚馬券を買って窓口を離れる。掏られた男は、一足先に窓口を離れると一心に予想表と睨めっこしている。清吉は、これ迄は全部その場で捕まっていたので、うまくいったと、成功の快感が込み上げて来るのをどうすることも出来なかった。
 公衆便所へ行き、大便所に入って財布の中を調べると十五円ある。思った以上の収穫だ。財布を便槽の中に捨てる。
 場内ではスタートの準備をしている。スタートの旗が振られると各局一斉に駆け出す。ワアーッと群衆が柵に群がって行く。夫々の買い馬に注意を集中して「頑張れ」「それっ行け!」などと思い思いに熱気を吐き出し夢中になる。
 買い馬の結果は済んでからでよい。第二回戦開始である。行動する前の緊張感で身体中がぞくぞくする。この時も周囲をうまく「幕」に使い成功する。裸の札だったので直ぐズボンのポケットに隠す。馬券は外れた。勿論残念とも思わない。。
 この日は四人からうまく掏摸取って成功した。調子に乗っては危ないと、早々に引き揚げることにし、便所に入って確かめると合計三十七円の戦果である。長居は無用と夕方の汽車で帯広を発ち小樽に引き返した。
 狩勝峠は闇の中にあった。初めて峠を越えた時の車中で、線路の下に眠っている土工の死を悼んでくれた老婆のことも、今の清吉には新たな感慨として心を打つこともない。時が、こうも人間を変化させるものであろうか。
 それにしても大戦果である。いままで、盗みで自分で使う金を手に入れたのはこれが初めてである。
 しかし、悪銭身に付かずと言う。気が大きくなり派手に遊び過ぎた。刑事に怪しまれ一寸交番まで来てくれ」と言われたときは、しまったと思ったが後の祭りだ。
 小樽区裁判所で懲役三年の判決を受けた時は、重い刑に驚いた。
 服役は札幌刑務所だ。入所の時、顔見知りの看守から
「又来たのか」
 と言われたが、頭を掻くより返事のしようがない。
 一年が過ぎた頃、無性にシャバが恋しくなる。待っている人が居る訳けでもないがシャバでは働きさえすれば自由である。自由になりたい、その思いが胸一杯に広がって来る。長期服役者で、仮釈放で出所する者がある。服役態度が良好で、刑期の三分の一を過ぎ、条件に当てはまると審査の対象となり、満期前に釈放となることがあると受刑者仲間から聞かされた。俺も三分の一の刑を終えた、真面目に務めて早く出るようにしようと決心する。しかし、どのような条件かは判らない。裁判の時検事が、常習の掏摸犯であると論告したが、常習者は該当しないのかなと不安になる。兎に角真面目に努めようと思い返す。
 又一年が過ぎた。後一年である。その頃、農耕作業班に配置された。朝食の後看守が房の前に来て
「一〇五号」
 と呼んだ。どきっとする。同房の者も一斉に清吉を見る。錠が外され「出ろ」と言う。「はい」と返事して房外に出る。看守は
「こっちに来い」
 と言って先に歩きだす。清吉は尾いて行きながら心の中で呟く
「俺何か反則したかな」
 別に心当たりはないが、直ぐ悪い方へ考えるのが癖になった。舎房と事務棟との間の錠が外され舎房外に出る。調査室と札の掛かった部屋へ入る。看守は、正面に座った上官に敬礼して
「第一舎房一〇五号杉本清吉連れて来ました」
 と報告する。上官は「ご苦労」と言い清吉に「一〇五号は、明日から農園の作業班に所属して農作業に従事する。いいね」
 と言う。何があるのだろうとびくびくして来たが一安心だ。農作業なら経験があるし、コンクリート壁の外で仕事が出来る、よかったと思う「はい」と頭を下げる。
「戻ってよろしい」
 又看守に付き添われて房に戻った。同房者が
「どうだった」と一度に声を掛ける。看守が
「静かに」
 と怒鳴った。しんとなる。看守の靴音が遠のくと、皆が清吉ににじり寄って来て顔を見る。
 小声で
「農作業だとよ」
 と言う。一人が
「そりゃあいい、早く出れるぞ」
 と言った。前途が幾等か明るくなった。
 苗穂の農耕地は広々としていた。この農作業場は、刑務所内で必要な生鮮野菜全部を賄っていると聞いた。郷里では想像出来ない広さである。
 官用地に隣接して草丈の高い作物が見渡すかぎり続いている。古顔が「麻だ」と教えてくれた。この苗穂には、有名な麻工場があると聞いていた。休憩時間に、草の上に腰を下ろして、麻が頭を傾けて風が渡って行くのを見るのが好きであった。
 農耕作業になって一月程経った或る日、作業が修了して帰所のため集合したとき、二一〇号が居ないことが判った。三十前に見えた男であった。看守の一人が監視所から電話で本所に急報したので、清吉等が帰所する途中で捜索隊と行き会った。
 翌日作業開始前に看守部長が
「昨日作業場から逃走した二一〇号は、札幌市内で逮捕された。逃走罪で更に刑を受けねばならない。皆も、此れまでの成績を無駄にしないよう、刑期を全うして貰いたい」
と訓示した。
 二一〇号は、どうして釈放まで我慢出来なかったのだろう。受刑服のまま逃げたところで直ぐみつかる筈だし、服装を変えるにしても、盗みをしなければならない。更に罪を犯すことになるのは判っていたのに。シャバに居る親兄弟に変わったことでもあったのだろうか、それとも、自然に親しんでいる間に、魔神のおいでおいでにふわっと曳かれて行ってしまったのだろうか。俺はそんな割りの合わないことはしないぞ、と清吉は呟く。
< 前のページ