杉本清吉は、偽名と前科がバレたためか、心持ち焦燥の蔭が窺われるが、依然として、何人ものポケットに手を触れたことは認めない。勿論逮捕時ポケットに指を入れたことは否認のままである。
「全くの素人が見て怪しいと思うような行為があり、それも一度や二度ではないので、これは掏摸だと思い警察官に通報し、その後は二人で君の後をつけて同様な行為を見ており、最後にポケットに指を入れたので逮捕したと言うのだ。二人とも嘘を行って君を犯人に仕立てる分けもないと思うがどうかね」
 と山本の態度は依然穏やかで説得をかさねる。
 隣の席で記録を読んでいる金内副検事は盛んに煙草をふかし、吸い殻を灰皿に押しつける度に杉本との顔を睨つける。
 灰皿の吸殻から煙りが細く立ち上がっている。時々杉本は金内副検事の方を盗み見する。山本は被疑者も金内の気持ちを感づいているのかと思う。つと、杉本の手が金内の机にある灰皿に延び吸い殻を抓んだ。
「何をするか馬鹿者」
 堰を切ったように金内の怒声が室内に響き渡った。抓んだ吸い殻を皿に置いて杉本は手を引っ込める。
「そんな根性だから人のポケットに手を入れるんだ、嘘ばかり言って」
 金内は激しく怒鳴りつける。
「すみません」。
 と金内に頭を下げ、山本の顔をちらっと見て目を伏せた。杉本は山本の目に哀れみの色を見たようだ。
「どうだね、現行犯で逮捕されているし、否認を通すならそれでもよいが、然しどんな人間でも罪を犯すにはそれだれの事情がある筈だ、検察官としては、その事情を汲めるものは汲んで処理しなければならないのだ。このようにはっきりしているのに、只しませんだけでは君の事情を汲むことが出来ないで裁判へ廻さねばならない、君がそれでよいと思うなら仕方無いがね」
 山本は相変わらず穏やかに言い聞かせる。杉本の頭が次第に下がって行く。肩が微かに震えているのがわかる。気持ちに変化が生じたのであろうか。
 急に杉本は、顔を上げたと思うや「すみませんポケットに手を触れました」と泣きながら言う。それは言うというより叫び声である。山本の顔を見つめたまま、大粒の涙と一緒に二本の洟を垂れ流し「すみません、すみません」と言い続ける。それは、哀願するようでもあり、また、胸の痞を一気に吐き出したと言う感じである。これは芝居ではないなと山本は思う。ポケットから塵紙を取り出し何枚かを杉本に差し出し「洟をかみなさい」と言う。
 洟をかみ涙を拭いた杉本は感情が落ちついたようだ。
「それでは、君の生い立ちから話してくれないか」
 と本格的取り調べに入った。
< 前のページ