右の壁に掛けた黒板に、勾留中の被疑者と勾留満期の日とが書いてある。
 小田で手持ちの勾留事件が万件となった。十日間の期間内に処理するのが原則である。否認事件は一層手数が掛かる。翌日勾留状が出て記録が戻って来た。その日は自宅に持ち帰って夕食後記録をよく読む。日中は他の勾留事件や在宅事件の取り調べで記録読みは専ら彼自宅ですることとなる。
 この事件は未遂事件だけに逮捕警察官と目撃参考人である警備員の供述が重要である。この二人から、逮捕するまでの状況を詳細に聞くことだ。
 四日が過ぎたとき身許照会書が「該当者不見当」の印が押されて戻ってきた。
 逮捕警察官と警備員の供述では、場内で他人のポケットにアタリをつけたことが再三あったと言う、殊に警備員は掏摸については全くの素人で、その素人が怪しいと感ずるような行動を再三にわたってしたと言うことは、犯行を認めるべき一つの状況証拠である。黒の線が濃い。
 五日目指紋回答が来る。杉本清吉前科七犯内六回は窃盗一回は賭博である。改めて身許と前科の照会をして小田を警察から呼び出す。
「掏ろうとしてポケットに指を入れたことは間違いないのではないか」
「そんなことはしていません」
「然し警備員は、君がひとのポケットに手を触れる様子を見て掏摸でないかと思い後を尾け、度々同じ行動をするので警察官に知らせたのだよ」
「いいえそんなことはしていません、人が混んでいたので誰かの体に手が触れたかもわかりませんが、掏ろうとしたことはありません」
 横の席の金内検察官が盛んに煙草を燻らせながら記録を読んでいたが、横目で嘘を言うなと言うように睨みつけている。怒鳴りつけない山本の調べ方を見て、手緩いとでも思っているのであろう。
「ところで」
 山本が言い出す
「君の名は小田清吉でないね、前科もあるね」
 小田清吉の顔が一瞬硬張る。それが弱々しくなり目を伏せた。
「そうです」
 力の無い返事である。
「前科のあるのを隠そうと言う気持ちは判るが、検察庁に来てからも嘘が通ると思っているのか、杉本清吉だね」
 こくんと首を前に振る
「前科は七つあるが一つは賭博あと六回の窃盗は掏摸か」
「一回目は違いますがあとは掏摸です」
「ところで、今回の事件はどうだね、全くの素人が見て怪しいと思い、後を尾けてよく君の行動を見ており、度々他人のポケットを上から触って中身を探るのを見て掏摸と思い警察官に通報しているんだよ」
 山本は、この被疑者に、このような行為のあったことについては間違いないとの確信があったが、未だ、予備行為であって着手とは謂えない。着手が無ければ窃盗罪として既遂、未遂の刑法上の問題とはならないのだ。
 山本の取り調べは威嚇型ではなく説得型である。ほとんど怒鳴りつけることはない。そのため上司から、山本の調べは弱いと批判があるのだが、山本のこの取り調べ態度は一つの苦い経験からきているのだ。
 それは、まだ戦時中のことである。太平洋戦争も、戦局が膠着して食糧事情も一層窮屈になり、人々は、些少の空き地をも見逃さず畑としていた。
 山本も幼い子供を抱え、同僚と共に近くの大通り公園の歩道半分を札幌市から借りて馬鈴薯を作っていた。道路という道路の両側も同様畑となっていて、秋には何程かの収穫が食糧不足を僅かでも補ってくれていた。しかしこれも道路に近いとか、耕作に時間的余裕があるとかの限られた者立ちの幸運といいうべきものである。戦局の悪化と共に、食糧の配給が益々窮屈になると、この僅かな菜園から、野菜が盗まれることが頻発するようになった。
 当時は、各人が自分を守ることで精一杯の状況であったので、僅かではあるが得ている幸運にさえ、恵まれない困窮者に対する思いやりよりも、折角汗した収穫物を盗み去る犯人に対する怒りが心を支配していた。
 山本も同じであった。毎日出勤し同僚間で「今日も畑をやられた」と言う話しが出ると、犯人に対する怒りがこみ上げて来て、一つ犯人を捕まえてやろうと言う気にもなるのである。
 そのようなある朝、ようやく太陽が東の空から顔を出した頃、自作の畑の見廻りに家を出た山本が、小路から本通りへ出ようとしたとき、百メートル程前方から前掛けを着けた一人の女が、道路沿いの畑に目を遣りながらこちらへ来るのが目に止まった。
 山本は咄嗟に身を引いて塀に隠れた。どうしてそうしたのか自分でもはっきりとは気づかないのだが、人通りのない早朝前掛けを着けて歩いているがどうも不釣り合いなので、野菜泥棒でないかとの疑いが頭をかすめたのであろう。
 塀の陰から窺うと、女は、立ち止まったり歩いたりしながら畑から目を放さない。山本の心に、野菜泥棒の疑いの蔭が拡がって行った。
 女は山本に気づかない様子で段々近付いて来る。会計課長のKさんの畑の前で女は、つと立ち止まった。そして周囲を見廻し、人の無いことを確かめるとしゃがみ両手で畑から何かを取り上げ、前掛けの下に隠して歩き出した。
 山本はもう躊躇する必要はなかった。ゆっ一りと小路から出て女に近付いた。女は彼に気づき立ち止まって動こうともせず彼を見つめている。咄嵯のことに、逃げることも出来ず立ち疎んだ格好である。山本は女の前にたった。女は、恐怖とも哀願とも取れる複雑な表情で彼を見つめている。畑を見ると、長く延びた南瓜の蔓に残された青い付け根に滲み出た水玉が朝日に光っている。それは丁度、実らぬ前にもぎ取られた悲しみを彼に訴えている涙のようであった。新たな怒りがこみ上げて来た。
 山本は、それでも声を押さえて
「取ったものを出しなさい」
 と言うと女は、前掛けの下から未熟な南瓜を出した。そして、顔を伏せたまま
「すみません許して下さい」
 と言う。
 女の着物の襟の胸のあたりは、哺乳のためであろうか汚れていた。ふと、山本の頭を幼いわが子の顔が横切った。
「だめでないか、他人が折角苦心して作った物を」
 と詰ると、女は
「許して下さい、もうしませんから、父さんが戦争に行っているので」
 としきりに謝る。山本は、一応被害者のKさん方へ連れて行き謝らせようと思い
「一緒に来なさい、畑を作っている人の家が近くだから行って謝りなさい」
 と行って促すと女は、仕方なさそうに前掛けに南瓜を包んで歩きだした。
 戸を開け
「お早うございます」
 と声を掛けると、起きたばかりらしいKさんが出て来て、怪訝な顔つきで山本と女を見る。
「このひとがお宅の南瓜を取ったんですよ」
 と言う。女は
「すみませんもうしませんから」
 と言いながら前掛けから南瓜を出して上がり段に置いた。Kさんは
「いけないね盗みをしては、もうしてはいけないよ」
 と諭す。女は
「もうしません許して下さい」
 と繰り返し逃げるように外へ出た。山本はKさんに一礼して追うように外に出て
「一寸待ちなさい、家は何処なんだ」
 と尋ねた。女は
「三吉神社の近くです、もうしませんから許して下さい」
 と懇願する。山本は窃盗犯人の女としてより別のことを考えていた。
「旦那さんはどっち方面に征っているの」
「中支です」
「どのくらいになるの」
「もう一年になります」
 まだ三十前後に見えるこの痩せてやつれた女は、本当に出征軍人の家族であろうか、本当だとすれば生活状態を確かめて見たい
「あんたの家まで一緒に行きましょう」
 と言うと
「嘘は言いません、本当です、此処で許して下さい」
 と言う。後の半分は、彼の執拗さを詰る気持ちが含まれているのを感じた。しかし山本は応えずに歩き続ける。大通り公園をよぎりながら女は
「これで勘弁して下さいよ、嘘は言いませんから」
 と何度も言う。その声は次第に、彼の無情さを非難する響きを強めてきた。山本は無言で歩く。女は諦めたのか足を早めて北一条通りへ出て石畳の歩道を歩いて行き、三吉神社の近くに来たとき、前のほうから
「かあちゃん」
 と叫びながら、未だ乳飲み子と思われる幼児をおぶった、小学校一年くらいと見える女の子と、もう一人下駄を履いた三才位の男の子とが、女を目掛けて駆けて来る。後悔に似たものが山本の心をかすめる。と、女は
「来るんでない」
 と甲高に叱りつけた。その声が山本の心に突き刺さった。
 寄ってくる子供を叱りつけた女は先に歩き、近くの小路に入った。彼もついて入る。子供たちは、異常に興奮した母と彼とを見比べながら不安な様子である。奥まった、入り口の開けっ放しになった家に駆け込むようにして入った女は、ハガキを手にして入り口に引き返すなり、立っている彼に突き出し
「嘘ではないんですよ」
 と強い口調で言う。山本は、母と自分とを見比べている子供立ちそ見遣りながら女に
「落ちつきなさい、子供さん達が変に思うでしょう」
 と小声でたしなめる。ハガキには中支派遣一三五部隊郵便番号一〇五橋本忠夫と差出人名が書いてある。表札と同じなのを確かめて女に返すと
「大変ですね、子供さん達な大事にして下さい」
 と言い置いて逃げるように小路を出た。
 一面菜園となっている大通り公園をよぎりながら彼には、先程女を捕まえたときのような勝ち誇った気持ちはもう跡形も無く消え去っていた。
 俺は一体何をしたと言うのであろう。女のやったことは非難さるべき行為であるに違いない。しかし、自分の正義感を満足させはしたが結果においてあの飢えた幼子からその朝の糧を奪い去ったのではなかったか。
 "渇しても盗泉の水を飲まず"
 と言う。その意気を尊いと思う。また
 "人の生くるはパンのみに由るにあらず"
 と言う聖書の言葉を深く肯定もしよう。だがあの幼児等に今与うべきものは、パンであろうか聖書であろうか。
 快々とした日々が続いた。その秋十月、代用食に配給された南瓜の一つを持って、山本はあの女の家を訪れた。出て来た女は、あの時のことは忘れたのか彼を直ぐ思い出さないようであったが、玄関の上がり口に南瓜を置いた彼は
「これを子供さん達に食べさせて下さい」
 と言い終わるや、ぽかんとした顔つきの女を後に逃げるように立ち去った。再び大通り公園をよぎりながら「これですんだ、これですんだ」と心に呟く彼であった。
 他愛もない自己満足である。しかし、彼の心は晴れ晴れとして日本晴れのようであった。
 終戦後彼も副検事として検察官の末席を汚すこととなった。多くの刑事事件を扱いながら、何時もあの南瓜泥棒の女のことが頭を離れない。僅か、未熟な南瓜一個の窃盗事件ではあったが、その犯罪の奥には、あれ程彼の心を苦しめた生活の実態があったのではなかったか。ときに道学先生の如く振る舞っている自分に気づいて、一人顔を赤めるのである。又あるときは、何時しか傲慢な批判者に成り済ましている自分に気付いて、愕然とするのである。実態を見落とすな、それも犯人自身に即した実態で、取り調べ官の主観に片寄ったそれではいけないのである。そう言う態度からこそ人生の共感が生まれるのではないか。
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