三日後被疑者を呼び出す。
高校を卒業後、地元の漁業組合に入って同一職場の男性と知り合い、結婚まであと一月となった。
調べ室を兼ねた検察官室に呼び入れる。人並みの奇量で、緊張で少し青ざめているようにみえる。
「あなたに対する事件で聞きますが、あなたは、詐欺事件の被疑者と言うことになっ
てるので、先ず始めに言っておくが、被疑者の立場にある者は、法律で、聞かれたことに対し、言いたく無かったら言わなくてもよいと言うことになっている。しかし、色々主張したいことがあれば遠慮無く話していいですよ。
そこで、記録によると、あなたは今年の六月十三日、町内の沢田呉服店に行き、婚礼衣裳を注文し、七月十日同店で店主の娘さんから出来上がった衣裳一式(代金十五万五千円相当)を受け取りながら、その後同店から代金を請求されたが、既に支払ったと嘘を言って支払わず、財産上不当な利益を得た、とのことであるが、この事実はどうかね」
「警察でも申し上げましたが、品を注文したあと、私一人で店に行き、奥さんに支払ったのです」
「そのとき領収書を貰いましたか」
「貰いました」
「それは今時っていますか」
「品を受け取ったのでもう必要ないと思い、捨ててしまいました」
「ところが呉服店では領収書は書いておらず、勿論控えもないし、受け取ったことはないと言っているが、領収書がないなら、他にあなたが払ったと言うことを証拠立てるものはないかね、例えば貯金の内から払い戻したとか、親から出してもらったとか、貴方に有利な証拠はないだろうか」
「代金は、組合の会計から一時借りたので、私の手帳に書いてあります」
「それではその手帳を見せてご覧」
「はい」
と言って手提げから小型の手帳を取り出して机の上に差し出す
「その部分を開いてご覧」
彼女は手帳を手に取り、開いて確かめ
「これです、七月八日に会計係の後藤さん(結婚の相手)にお願いし、受取も渡してあります。給料日に返す約束です」
と言う。
「それではよくこれを検討して見るので、借りていいですか。他に有利なものや、証人はいないかね」
「ありません」
「それでは、尚こちらでよく調べてみるから、今日はこれで帰っていいです」
女は、ほっとした様子で一礼して部屋を出た。
山本は、女が提出した手帳を開いて、先ほど女が示した日のメモをよく見る。七月八日のページに三件程の覚え書きが書いてあり、前後の覚え書きの間に女が説明したように「十五万五千円組合から借り」と記載があるが、どうも他のメモの文字と墨色が違う感じである。字体は他の記載文字と比べ、同じ人間が書いたと思われる筆運びであるが、墨色が違う。後で書き加えた疑いがあるので、試しに事務官に確かめさせるが、矢張りこの部分だけ後で書き込んだのでないかと、同じような疑いを持った。どうも被疑者が偽装工作をした疑いが濃い。
しかし、被疑者としては例えそうであっても、結婚式を目前に控え、口が裂けても、罪を認めない決心であろう。とすれば、婚約者の後藤を調べる必要がある。
だが、山本は、被疑者が正直に事実を認めた場合、衣裳を返させるか、代金を支払わせて起訴猶予処分とし、結婚式は挙げさせるべきだと考えていた。それで、もし後藤を取り調べて、同人が事実を知った場合、破談になるおそれが十分あるので、もう一度被疑者を調べてからにしようと思った。
三日後、被疑者を呼び出す
女は、覚悟を決めたのか動揺の様子はない。
「色々調べてみたが、どうもあんたの言うことは信用できかねる。あんたの立場も考えて処置を決めるが、本当のことを話してもらいたい」
女は、うつむいたまま無言である。
「どうかね、まだ若いんだし、将来もあることだから、この際本当のことを話してはどうか、あんたの将来を傷つけないよう考えて処理したいと思うのだが」
女は尚黙していたが
「代金は会計係の後藤さんから一時借用し、払ったのは間違いありません」
と言う。
これでは自白の見込みがないと思い、被疑者を控室に待たせておき、隣町の漁業組合に電話をかけ、後藤を急速呼び出した。
後藤には、佐藤克子さんのことについて、参考人として聞きたいことがあるとのみ話す。
一時間くらいして後藤が出頭した。
「丁度汽車が間に合ったので急いできました」
と言う。
「勤務中来ていただいて有り難う。実は佐藤克子さんがあなたに頼んで、七月八日十五万五千円を組合から支出して貸したことがありますか」
「はあ・・・実際に貸してはおりませんが、彼女に、その日に組合で彼女に貸した旨の書面を作ってくれと言われ、事情はわかりませんがそのように書き、私が保管しております」
これを聞いた山本は
「これから次の汽車で一緒に行きますから、その書面を見せて下さい」
と言う。
山本は、これで被疑者の作り事がはっきりしたと判ったので、手数をかけて調書を作成する必要はないと判断し、偽の書面を確認すれば事足りると考えたのである。
後藤は簡単な成り行きにほっとしたようで
「はい、よろしいです」
と承知したので、課長にその旨を話し、女を帰るまで待たせて置くように言い置いて、後藤と二人で駅に急ぎ、汽車に乗った。
海辺に沿って走る車窓から、砂浜に打ち寄せる波を間近に見ながら、山本は、二人の結婚を壊さないようにするにはどうすべきかをあれこれ考えている。
隣町まで十五分である。後藤は、駅に着くと、山本を自宅に案内した。山本は部屋の上がり口に立って、後藤の様子を見守った。
後藤は、茶の間の茶箪笥の小引き出しから一枚の紙片を取り出して、山本の側へ来て差し出し、
「これです」
と言う。
文面を見ると
佐藤克子に○○漁業組合から十五万五千円を貸与したことを証明する
昭和二十九年七月八日
会計係 後藤洋吉
とある。
後藤は
「佐藤克子さんに頼まれ書いたもので、日にちも同人の言う日にしました。どのような理由でこのような書面が必要なのか言いませんでしたが、本人が「頼むから」と言うので、同人とは近く結婚することになっており、その準備もしてあるので、詳しいことは聞かず、そのとおり書きました。しかし本当はなにも組合から貸していないので、私の手許で保管していたのです」
山本は、これで詐欺の証拠は十分であると確信したが、若い、結婚直前の被疑者を起訴する考えはなかった。
「これで事情はよく判りましたから、無事結婚式を挙げて下さい」
と後藤に言う。
後藤には、佐藤が詐欺事件の被疑者となっていることは言わなかったが、検察庁に呼び出されて佐藤に関する事柄を聞かれたので、何か事件で調べられているなとは感づいたと思い、結婚破棄など佐藤にとって最悪の事態になるのを恐れたのでこう言ったのである。
次の列車で検察庁に引き返し、佐藤を検察官室に呼び入れ
「大変待たせてすまなかったが、兄弟親戚の中にあんたが最も信頼いている人はいないか」
と聞く。
佐藤はしばらく考えた末
「姉の旦那さんの神山正さんです」
という。
「それでは神山さんに明日検察庁に来てくれるよう伝えて下さい、別に呼び出し状は出しませんから」
と依頼する。
佐藤は
「はいわかりました」
と承知した。
「では今日はこれで帰っていいですよ」
と言うと、佐藤は一礼して退去した。
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