翌日午前十時、女主人が出頭する。まだ四十五才の働き盛りである。
 当時はまだ、一般の人びとは参考人であっても、検察庁に出頭することは気が引けるという風潮が残っていた。
 検察官室に入ってきた文主人は、緊張した様子がわかる。
 まず、緊張を解いて供述し易い状況を作るのが先決である。
「お忙しいところご苦労様でした、衣類を詐欺にあった事件で警察で事情を話しておられますが、尚少しお聞きしたいのです。それから、予め断わっておきますが、お尋ねすることがくどいと思われる節があるかもわかりませんが、被疑者の供述と違う点がありますので我慢してお話し下さい」
 と前置きする。
「はい判りました。ありのままをお話します」
 いよいよ事件の内容に入る。
「被疑者とはこの取り引きで始めて知ったのですか」
「はいこの件ではじめて知ったのです」
「被疑者は最初一人で来たのですか」
「いえ、姉さんと言う、子供を背負った三十くらいの人と二人でした」
「交渉の様子を教えて下さい」
「結婚するので婚礼衣裳を作りたいとのことで、五種類ほどの衣裳の生地を出しますと、姉さんと二人で相談しながら見て決め、体の寸法を計り、仕立て上がりの代金は十五万五千円と決め、引き渡しは半月後と予定し、出来次第連絡することにしたのです」
「そのとき金銭の授受はなかったのですか」
「ありません。内金も貰っていません、仕上がった着物と引き換えに代金をいただくことにしました」
「この交渉のとき他に店に来ていた人はなかったですか」
「はい丁度そのとき、他の用件で知り合いの加藤さんの奥さんが来ていて、二人が品定めをするのを側で見ており、二人が帰ってから十分位して帰りました」
「代金の支払い方法について話しましたか」
「出来上がった品を渡すとき引き換えに払ってもらうことにして、分割払いの約束などはありませんでした」
「出来た品を渡したときの様子を話して下さい」
「半月ほどで出来上がったので、電話で知らせておきました。三日ほどして、私の不在中受け取りに来て、店番をしていた娘が渡したのです。娘の話では、着物を確かめてから、『どうも有り難うございまた』と言って、帰って行ったとのことでした」
「代金の話は出なかったのですか」
「娘の話では、相手は代金のことは全然話さなかったので、わたしはお母さんが既に受け取っているのかと思い、こちらからは言わなかったとのことでした。私はお金は貰っていないよ、と話し、翌日、娘を相手方に請求にやったのです。ところが相手は、代金は私に払ったと言うので、領収書を見せて下さいと言うと、捨ててしまったが払ったことは間違いない、と言い張ったとのことでした」
「店に領収書の控えはありましたか」
「領収書は書いていないので、控えはありません」
「その後どうしましたか」
「今度は私が行き、交渉しましたが、払ったの一点張りで、誰に払ったか聞きますと、品を受け取る前に私に払ったと言いますが、私も娘も受け取っていないので、警察に相談した次第です」
 これで被害者側の調べを一応終え、念のため、注文に来たとき店に居合わせた加藤チエに来てもらって、注文時の様子を尋ねたが、被害者の供述通りで、その際に代金を払ったようなことはなかったとのことである。
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