検察官室のベルがなった。事件記録を読んでいた山本武は、記録から目を離して受話器をとる。
「検事さんですか、三浦司法主任ですが、ちょっとご相談したいことがあるので、お伺いしていいですか」
「ああ、いいですよ、今手が空いているから」
「それではこれからお邪魔します」
 と電話を切った。
 警察は、検察庁から三百メートル程離れたところにある。三浦司法主任は、警部補で五十に近い年配である。
 間もなく三浦主任がやって来た。
「お忙しいところすみません、実は今若い婦人の詐欺事件を調べているのですが、被害者の供述では、被疑者の犯行は間違いないと思うのですが、被疑者は否認を続けていまあす。今も呼んで調べているのですが、頑として否認を続けるので、逮捕して調べるべきか迷って、ご相談に上ったのです。」
 と言う。
 説明によると、被疑者は二十五才で、近く同じ職場の男性と結婚することになっており、式の日取りも一ヶ月後に決まっているとのことで、二ヶ月前に町の呉服店に嫁入り衣裳を注文したのであるが、そのときは嫁いだ姉と一緒に来て色々品定めをし、店の文主人が応待して注文を受けた。その後一ヶ月位して衣裳が出来たと通知したところ、被疑者が受取に来たが、たまたま文主人が留守で娘が品を渡したところ、
「有り難うございました」
 と礼を言ってそのまま帰っていったとのことである。店の娘は、被疑者の態度が極めて自然だったので、代金は母が受け取っているか、或いは、支払いについて何か先方と話しがあったのかと思い、代金のことは言い出さなかったとのことである。このことを後で聞いた母親は、代金は貰っていないし、支払い方法についても何も話していないので、被疑者の住所がこの町から鉄道の駅を二つ離れたところだったので、手紙で請求書を送ったところ、代金は既に支払ったとの返事だった。そこで、呉服店では、娘を直接請求にやったが、払ったの一点張りで支払わないので、警察に訴え出たとのことである。
 また、被疑者は、領収書は貰わなかったが払ったことは間違い無い、と言い張るばかりだとのことである。
 話を聞くと、呉服店の文主人の申し立てに不審の点はなく、被疑者の出来心で、品を受け取ったとき代金の請求をされなかったので、つい悪心が起きたのでないかとの疑いが濃いが、しかし、婚礼を目前にした若い女を逮捕すると言う強制捜査にも踏み切れず、困った末の相談である。
「逮捕したところで自白はしないだろう、否認のままでいいから事件を送致してはどうか」
「そうですか、こちらの力不足で申し訳ありませんが、それではそうさせていただきます」
 主任はそう言って帰って行った。
 二、三日後被疑者佐藤克子に対する詐欺事件が送致されてきた。
 内容を読むと、三浦主任の報告と違わない。当年二十五才、住所地の漁業組合の事務員をしており、二ヶ月後に同じ職場の男性と結婚することになっている。そうすれば急いで調べなければならない、と考え、捜査の手順を整える。
 先ず、被害者から事情を聞くことだ。翌日出頭するように電話で連絡する。
 警察の調べによると、被害者の呉服店は町内で一番の老舗で、主人が数年前死亡し、あとを家内と二十五才になる娘さんとでやっているとのことである。