トーマス・マンは、中世の詩人ハルトマン・フォン・アウエの作品を下敷きにして、
グレゴーリウスの物語を新たに書き直そうとした。
ところが、中世ドイツ語のままでは少し手に余ったようで、ザームエル・ジンガー教授に援助を乞う。
「ハルトマン・フォン・アウエの『石の上のグレゴーリウス』は、標準ドイツ語への翻訳があります。
それがレクラム文庫に入っているのは知っていますが、ここではどうしても捜し出すことができません。
それでも、この詩を読むことが、しかも標準ドイツ語で読むことが私にとっては重要です。
というのも、中高ドイツ語は、多くの点で私にははっきりしないからです。助けてもらえるでしょうか」
(1948年1月4日)
当時、マンはアメリカのカリフォルニア州 P. パリセーズに滞在中で、
当地の大学図書館からハルトマンの原本を借り、S. ジンガー教授の翻訳を参考にして、筆を進めた。
1949年の夏にドイツへ旅行する。ナチに追われて亡命して以来のドイツ訪問であった。既に16年の歳月が経っていた。
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