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IX
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トーマス・マンの『ファウストウス博士』(1947年)は、その副題が示すとおり、
ドイツの作曲家アードリアーン・レーヴァーキューンの生涯が
その一友人であるギュムナージウムの古典語教授ゼレーヌス・ツァイトブロームによって語られる、
というかたちをとっている。
語り手の言うところによれば、この伝記の稿を起こしたのは、友人の死のほぼ三年後、
1943年5月 一 じつは作者トーマス・マンが実際に『ファウストウス博士』の執筆を始めた時期と一致する 一
である。
ツァイトブロームは祖国ドイツの狂気を憂い、そのついには破局へと至る過程を、
つまりかれの身辺に現実に迫っている出来事の描写をあいだに挟みながら、友人の悲劇の生涯を書き進めてゆく。
そして1945年5月 一 ドイツ軍の無条件降伏は5月7日 一 に筆をおく。
トーマス・マンは、1942年2月21日付アグネス・E‐マイヤー宛の手紙に、
「私の思考はときおり、もう仕上げるだけになっているヨーゼフを越えて、ある芸術家小説へと移ります。
この小説はことによると私のもっとも大胆でもっとも不気味な作品となるかも知れません。」
と書いている。
翌年『養育者ヨーゼフ』(1943年)を完成するが、その資料を整理した日の翌日(3月15日)の日記に
『ファウスト博士』の文字を書き記しており、その約一カ月後、息子のクラウスに宛てた手紙には、
この作品全体の構成がかなり具体的に書かれている。
「私はまた何かを書きたくなり、あるとても古い構想を追っているが、
この構想はそうしているうちに成長してきた。
これはモーパッサン、ニーチエ、フーゴ・ヴォルフなどの運命領域に由来する芸術家(音楽家)の物語
そして現代の悪魔との契約の物語であり、要するにいまわしい霊感と悪魔に連れて行かれること、
すなわち進行性麻痺に終る天才化を主題としたものだ。
しかし陶酔観念の一般および反理性がこれと結合させられ、そのことにより政治的なもの、
ファシズム的なもの、それと同時にドイツの悲惨な運命もまた結びつけられている。
全体に非常に古ドイツ的ルター的な色彩を帯びている(主人公はもともと神学者であった)が、
昨今のドイツを舞台にしている。これは私の『パルジファル』となる。
(クラウス・マン宛、1943年4月27日)
この手紙にも古い計画とあるように、じつはトーマス・マンのファウスト物語に関する計画は
『トーニオ・クレーガー』(1903年)の時代にまで遡る。
その当時、次のようなメモを書き留めていたという。
「ジューフィリスにかかった芸術家像。つまりファウスト博士そして悪魔に魂を売り渡した者として。
病毒が陶酔、刺激剤、霊感の機能を果たす。かれは挑惚とした歓喜のうちに
天才的な驚くべき作品を創造することを許され、悪魔がかれの手を引いて案内する。
しかし最後に悪魔はかれを連れ去る。即ちパラリーゼ。」
このメモから、トーマス・マンはこの当時もうすでにニーチェの悲劇の生涯を
ファウスト博士の物語に結びつけて考えていたことがうかがわれる。
そしてじっさい 一 これは作者が意識して行なったことであり、この点について作者は
『ファウストウス博士の成立』(1949年)などで明らかにしているが
一 後年に完成された『ファウストウス博士』においては、
アードリアーン個人の運命の主要ないくつかの部分がニーチエのそれと一致させてある。
例をあげれば、アードリアーンがギュムナージウムに通う架空の町カイザースアッシェルンは、
作品のなかで「ハレのやや南で、チューリンゲン地方へ寄ったところにある」と語られるが、
ちょうどそのあたりにニーチェの育った町ナウムブルクが位置していること、等々。
そしてなかんずく、
ニーチェがひとりでケルンヘ旅行をした折に、ガイドによってまちがえて娼家に案内されたときの状況を、
そのまま、アードリアーンの場合に当て嵌め、しかも
「ニーチェは、このケルンの娼家から逃走して一年後に、
今度は悪魔の案内なしに、そのような場所へと戻って行き、そして
自己に対する処罰として、故意に、自分の生を破壊し、と同時に途方もなく高めもするものに罹る」
という件については、これに主人公と悪魔との血の契約という象徴的意味を与え、
『ファウスト博士』における中心的な出来事に据えている。
その他、病状に関しても、
吐き気、絶え間のない頭痛と眼の痛みなど、アードリアーンの症状はニーチェの場合とよく似ている。
病いが進行してくると、困憊の時期と快感の時期が交互に訪れるようになるが、
両者ともに、精神が非常に高揚するわずかの期間のうちに特異な作品を完成させる。
そしてどちらも四十五歳のとき精神錯乱に陥り、以後十年余り回復を見ることもなく、
ニーチェは1900年、アードリアーンは1940年というずれはあるが、同じ日(8月25日)に世を去る。
1947年1月、ボン大学がマンの名誉博士の称号の剥奪を撤回する。 |
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動物園の中でジャガイモの耕作
後方の建物は廃虚と化した帝国議会
ベルリン(1946年)
Kartoffelacker im Tiergarten
vor dem Reichstagsgebäude
in Berlin 1946
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Das Photo, aus: " Klaus Schulz, Deutsche Gechichte und Kultur",
- Verlag Langewiesche, Königstein; Max Hueber Verlag, Ismaning - , 1972
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