窓したのさくらの花がひらき、それもちつて春もふけてゐた。午
休の控室には宇智多先生が長椅子のうへにパンの耳の袋をおいて、
自分は餡パンとコオヒイ牛乳の中食をとつてみた。

「宿からここまで六百七十歩です。」

 パンをたべをへたときに、唐突に宇智多先生はさういつた。

「ええ」とわたしはききかへした。

「大津屋から門衛まで二百歩、門衛から草原のまんなかまで二百歩、
そこから食堂のはしまでが百歩、食堂のはしから校舎のしたまで百
歩、校舎のしたから二階のこの控室までが七十歩、合計六百七十歩
です。」

「ずゐぶんこまかくかぞへていらつしやるんですね。おつかれにな
りませんか。」

「つかれますねえ。」

「………」

「けふは豫科長の蚊都夜鬼君にあひました。」

「あれはもうこの四月で豫科長はやめたんです。教授としてのこつ
てゐますが」

「あれはをかしな人ですね。挨拶もしません。いつものことですが
ね。」

「ただじつとみてゐたのでせうか。」

「まあ、」

 礼儀知らずめ、といふことばがでかかつたが、それよりもこちら
の弱點をみられたといふ感じのはうがつよかつた。彼はかういふ宇
智多先生のあしどりを好餌とするだらう。彼はそのまへの豫科長と
ちがつて、ドイツ語教室を目のうへの瘤として、陰に陽にいやがら
せをしてきたのである。

 宇智多先生が赴任してきて、もう五年になるが、最初は營林局の
宿泊所に紹介して、そこにとまつてもらつてゐた。そこから豫科ま
でニキロくらゐあり、わたしの通勤の途中なので、ゆきはわたしの
タクシイに同車してもらつた。しかしかへりはおなじ時間にはなら
ないので、バスなどの公共の乗物のない、その道をあるいてかへる
ほかなかつた。それに宿泊所は満員のためことわられることがあり、
そんなときに大津屋を紹介したのであつた。その大津屋にいつのま
にか定着してしまつたのは、一週間のうち不在の四日間も荷物をあ
づかつてくれるためだとおもつてゐたが、宇智多先生のいまの話で
は、學校から營林局の宿泊所までのかへりの歩行が困難になつてき
たからであらう。

「授業はおつかれになりませんか。」

「授業はつかれません。」

 宇智多先生の授業はあひかはらず一駒の一時間半を超過すること
はあつても、短縮することはなかつた。なにかの都合で缺勤すれば、
四時二十分からの一時半の空時間に補講し、また豫定のところに達
しなかつたとか、暗誦が十分でなかつたとかいふときにも補講をし
た。

「ゆうべもねむれなくてねえ。それでここまでやつとあるいてきま
した。」

「ねむられないときはどうなさるんです。ねむり薬でもおのみにな
るんですか。」

「薬はのみません。ねむれないときは、いつも上野驛か、東京驛か
ら鈍行にのつて、ねむれるところまでゆきます。」

「ええ、なんのことです、それは。」

「まだのつたことのない線にのつてねえ、驛の名をひとつづつおぼ
えてゆくんです。ゆうべは上野驛で常磐線にのつて、ひとつづつお
ぼえていつて、日立まできましたら、ねむつてしまひました。」
「たいした記憶力ですね。」

「記憶力はちつともおとろへません。ただ足がよわつてねえ。授業
もあと一年か二年くらゐかもしれませんね。」

 宇智多先生の年齢はことし八十一歳であつた。しかし、授業もあ
と一二年といふのは、この二三年來の宇智多先生の口ぐせで、授業
にたいする熱意はすこしもおとろへてゐなかつた。

「それに學生に暗記させるんですからね。自分でもすこしは暗記し
なくちや。」

 それをきいて、わたしは先生はやはりさうだつたのかとおもつた。
わたしも最初は教科書のわからない單語は譯を欄外にかきこんでゐ
たが、學生に試驗することをおもつて、かきこみをやめて、單語は
全部暗記してみた。

「これから豫科と圖書館の鯉にパンの耳をやつてきます。」

 さういつて、宇智多先生はたちあがつた。さうして廊下にでた宇
智多先生の足おとがゆつくりととほざかつていつた。

 豫科の鯉まで何歩だらうかと、そのときおもつた。出勤のときの
表玄関とは反對の裏玄関からでて、講堂のよこをとほつて、そのう
らの豫科の鯉まで八十歩かもしれない。そこからさらに圖書館の鯉
まで百歩、そこから控室までのかへりは直行になるから百五十歩、
往復總計三百三十歩くらゐになるかもしれない。

 さういへば宇智多先生の教室は、できるだけ控室からちかいとこ
ろにわりあてるやうに教務係に指示してみたが、都合がつかなくて、
事務棟をはさんだ、むかうの理科棟になることがあつた。そこから
ここにくるのに、まだ五十臺の伊万位教授なら五分でこられたが、
宇智多先生は十分はかかつただらう。たぶん百三十歩くらゐであら
うか。
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