窓からなにげなく、そとをみてゐると、柾木をとほして門の石段
を、青びかりのするステンレスの鉢をふせたやうなものがあがつて
くるのがみえた。木立がまばらになると、それはうたがひもなく、
そりたての人間の頭であつた。ついでまた二つの青びかりのする頭
があがつてきて、それにまた第四、第五の頭がつづいた。近所の尼
寺の尼さんが徒弟をつれてきたのかと一瞬うたがつたが、きてゐる
のはすみぞめの衣ではなく、外套とかスエタアとか、おもひおもひ
の冬着をまとつてゐた。のみならず異様な頭のしたには、いづれも
みおぼえのある目鼻だちの顔があをざめてゐた。

 玄関をあけると、そこに五人が一列横隊にならんだ。そりたての
頭にはふだんぜんぜんみえなかつたでこぼこがあらはれてゐて、な
かには眉まできれいにそりおとしたものもゐる。

 ずゐぶん得道したな

 さういふことばがわたしの口から咄嵯にでかかつたが、それをつ
ぐんだ。それは許容につながり、ぬかよろこびをさせるおそれがあ
る。

 學校からわたしの家までは百五十キロあり、僧形たちはわたしが
試驗後自宅にかへつたのをきいて、列車をいくつかのりついできた
のである。わたしはこの種の學生にはいつも玄関で應待して、うへ
にあげなかつたのに、このときだけは應接室にとほした。

「とんでもないことをしたね、君たちは。」

「すみません。」

 五人は異口同音にさういつて、ふかぶかと頭をさげた。すると、
その首すぢから、うへのでこぼこの後頭部まで青びかりをはなつて、
わたしの目を射た。このとほりです、このとほりですと、その青頭
が悔俊してゐるのをさけんでゐるやうであつた。

「こまつたね。僕にあやまられても。」

「すみません。ほんとにわるかつたです。」

「僕の試驗ぢやなくて、宇智多先生のだからね。」

 わたしはさういつて席をはづし、きのふ人からもらつた一級酒の
一升瓶と茶碗を六つもつてきて、ひやのまま、ひとりびとりについ
だ。僧形たちはとまどつて恐縮の體をあらはした。

「お茶がはりにのみたまへ。さかなはなんにもないが。」

「まだ晝まですから。」

「晝まも夜もないだらう。」

 さういふと、僧形たちはやつと茶碗を口につけた。

「僕はなんでもないんだ。僕ではなくて君たちの同級生の問題なん
だ。同級生がまじめに勉強してるところに、君たちがああいふこと
をすれば、だれだつて憤慨するからね。正直者がばかをみるとはこ
のことぢやないか。オリンピックの競技だつて、野球の試合だつて
規則があるからね。こつそり近道してマラソンに優勝したら、君た
ちはどうおもふ。」

「申しわけないです。三田と中村は自宅にかへつてるものですから、
いつしよにうかがへませんでしたが、べつべつにうかがふといつて
ゐます。」

「いや、わざわざくる必要はないね。」

「いいえ、おわびにまゐります。ふたりとも頭をそつてゐます。懺
悔してみます。」

「ふたりとも」

 得道したかといひかかつて、ふたたびそれををさへた。

「先生、どうか、かんにんしてください。」

 さういつて、ふかぶかと頭をさげると、ふたたび後頭部の青びか
りがわたしの目を射た。

「先生、なんとかなりませんか。」

「いや、僕の試驗ぢやない、宇智多先生の試驗だからね。僕には權
限はないんだよ。」

「宇智多先生のお宅にはこれからおわびにうかがひます。」

學生たちは没収したのがわたしであり、したがつてそれをどう處
理するかもわたしの意志によるところがおほきく、わたしの意志が
宇智多先生にも影響することを知つてみた。

「先生、再試驗だけうけさせてください。がんばりますから。」

 學生は眼目のことをいつた。學生は不正行爲をおこなつた試驗は
零點になること、そしてまたこれは再試驗をうけられないことを知
つてゐる。しかし新制度の發足以來いまだに不正行爲にたいする罰
則がさだめられず、教官が各自處理するよりしかたがなく、それで
も各自過不足があつてもこまるので、不正行爲をした課目だけ試驗
放棄として、再試驗をみとめないといふしきたりになつてゐる。し
たがつて不正行爲の試驗がただの一單位で、あとは全部及第してみ
ても、再試驗がうけられないから、留年が決定的になる。學生たち
はそれで再試驗だけうけさせてくれといつてゐるのである。
「さあ、それは。カンニングの場合は全課目が無効になるんだから
ね。」

 學生たちは一瞬顔をひきしめた。しかしこれはおどしではない。
おなじ醫科大學の本科ではさういふ學則ができてゐて、ただ豫科に
それをすぐ適用できないだけである。

「それをまあ、カンニングの試驗だけにとどめたいとおもつてるが、
どうなるか。僕ひとりの意見ではきめられないからね。」

 しかしかういふ措置があまいといつて、外部から非難されてゐる
のも事實である。非常勤講師の三奈美先生があるとき、カンニング
をあげて、わたしのところにもつてきたことがある。わたしはその
課目をさつそく放棄として留年にする手續をとつたが、三奈美先生
はそのとき、國立の大學がどうしてこんなに不正行爲がおほくて、
またそれにたいする罰則がないのか、自分のつとめてゐる私立大學
ではその期の試驗が全部零點になるといつたことがあつた。

「まあ、一つだけだつたら、よかつたとおもはなくちやね。」

「よろしぐおねがひします。」

 さういつて、僧形たちはそりあとまで酒がまはつてあかくなつた
頭をみたびふかぶかとさげた。


 けつきょく、この七人はドイツ語の再試驗はうけさせなかつた。
再試驗もすみ、その成績が提出された數日後の三月十八日にこの年
の學生の及落の教授曾がひらかれた。七人はドイツ語の試驗を放棄
したといふかどでこの一課目の不合格のために留年がきまつた。

 伊万位教務主任がその日のうちに、まちうけてゐた學生たちに申
しわたした。

「君たちは宇智多先生のドイツ語を放棄したかどで、留年になつ
た。」

「はつ、ありがたうございます。」

 七人は反射的にさういつて、すでにいがぐりになつた頭をふかぶ
かとさげた。あとでわかつたが、七人は最惡の場合退學處分を覺悟
してゐたので、ただの一單位の放棄による落第にとどまつたため、
まつたく自然にこの謝辭がほとばしりでたのであつた。
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