それから三たび學生がいれかはり、三年の歳月が平穏にながれさ
つた。すくなくともわたしのところには、きびしすぎるとか、ドイ
ツ語は不要だとか、ドイツ語の單位をへらしてもらひたいといふこ
ゑはきこえてこなかつた。
昭和五十二年の年も二月にはいつて、後期の試驗にさしかかると、
さすがに廊下をあゆむ學生には緊張の色がただよつてゐた。その廊
下でちやうど人かげのないときにであつた加末他講師が小ごゑでい
つた。
「學生がまた、はじめたらしいですね。」
「なにを。いまごろ學生大會でもあるまいし。」
「いいえ、カンニングです。」
「カンニングつて。」
それはわたしには信ぜられないことばであつた。あの三年まへの
教務主任の注意から、宇智多先生の試驗にはずつとわたしか、加末
他講師がつきそつてきたのである。
「それはデマぢやないでせうか。」
「ところが、學生は裏には裏をかきますからね。」
「…………」
「時間がないので、くはしいことはあとでお話しますが、今度のこ
とは小使のをばさんから、あんなことをほつたらかしにしておいて
いいのかしらんといつてきたんださうです。なんでも左手をにぎつ
てる學生があやしいんださうです。」
加末他講師はさういつて、試驗場にむかつてさつていつた。
左手に、……加末他講師はさういつたが、左手のなかになにがあ
るのだらうか。紙片をにぎつてゐても、すでに経驗ずみのやうに、
それから得をする點はせいぜい二點か四點にすぎない。それが流行
してゐたとしても、たいした問題ではあるまい。
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