それから三たび學生がいれかはり、三年の歳月が平穏にながれさ
つた。すくなくともわたしのところには、きびしすぎるとか、ドイ
ツ語は不要だとか、ドイツ語の單位をへらしてもらひたいといふこ
ゑはきこえてこなかつた。

 昭和五十二年の年も二月にはいつて、後期の試驗にさしかかると、
さすがに廊下をあゆむ學生には緊張の色がただよつてゐた。その廊
下でちやうど人かげのないときにであつた加末他講師が小ごゑでい
つた。

「學生がまた、はじめたらしいですね。」

「なにを。いまごろ學生大會でもあるまいし。」

「いいえ、カンニングです。」

「カンニングつて。」

 それはわたしには信ぜられないことばであつた。あの三年まへの
教務主任の注意から、宇智多先生の試驗にはずつとわたしか、加末
他講師がつきそつてきたのである。

「それはデマぢやないでせうか。」

「ところが、學生は裏には裏をかきますからね。」

「…………」

「時間がないので、くはしいことはあとでお話しますが、今度のこ
とは小使のをばさんから、あんなことをほつたらかしにしておいて
いいのかしらんといつてきたんださうです。なんでも左手をにぎつ
てる學生があやしいんださうです。」

 加末他講師はさういつて、試驗場にむかつてさつていつた。
 左手に、……加末他講師はさういつたが、左手のなかになにがあ
るのだらうか。紙片をにぎつてゐても、すでに経驗ずみのやうに、
それから得をする點はせいぜい二點か四點にすぎない。それが流行
してゐたとしても、たいした問題ではあるまい。





 宇智多先生の今度の試驗場は六百人を収容しうる階段講堂てあつ
た。補助監督のわたしは加末他講師より十分ばかりおくれてはいる
と、傾斜面にすでにそれぞれ四五十人の組が三つにわかれて席をし
め、それは醫科の二組、工科の一組で、試驗の問題はそれぞれちが
ふが、教室がたりないために合併にしてゐるのであつた。もう戦後
も三十年以上もすぎて、なぜたりないかといへば、ふだんの授業の
ときはまにあふが、試驗のときは不正行爲をふせぐために、ひとり
分の間隔をあけさせるために、小教室で収容しきれなくなるのであ
る。監督の教官のひとりの加末他講師はまだわかく、席のあひだの
通路をゆつくりとあるき、もうひとりはうしろにたつたまま手持ぶ
さたに窓そとをながめてゐた。もうひとりの宇智多先生はいつもの
やうに教壇にこしかけて、前日おこなつた試驗の答案を採してゐ
た。

 わたしがはいつたとき學生は一瞬顔をあげたが、すぐに顔をふせ
て、答案をかきはじめた。わたしは宇智多先生の組の席のあひだの
通路をとほつて、ひととほりみたが、席のあひだをつめてゐるもの
はひとりもない。まへのものが答案をすこしよこにずらし、うしろ
のものが腰をすこしそのはうにずらして、ひとりでに答案が目には
いるやうにしたものもなければ、ななめまへの答案が目にはいるや
うにしたものもない。一見不正行爲の準備體勢をととのへてゐるも
のはひとりもない。

 左手をにぎつてゐるのがあやしい

 加末他講師がさういつたのをおもひだした。なるほどほかの學生
の答案をみようとするものはゐないが、左手のこぶしをにぎつてゐ
るものがゐる。わたしはその學生のそばをとほつて、ちらと様子を
みた。答案は左右にかたよらず、まつすぐにおき、下敷もしてゐな
ければ、筆箱もおいてゐない。ただにぎつたこぶしを答案の左肩に
おいて、答案をささへてゐる。ほかの學生はどうであらうか。ほか
の學生は指をのばしてささへ、手の甲がうへになつてゐる。やはり
手をのばしたはうが自然のやうだ。加末他講師はこのことを注意し
たのであらうか。しかしただそれだけのために、手をひらいてみよ
といふのは、ゆきすぎであらう。わたしはそこをとほりすぎ、ゆつ
くりひととほりまはつて、二度目にそこにむかつて、うへからおり
ていつた。くだんの學生はまだこぶしを答案の左肩においてゐる。
なぜいつまでも、こぶしをひらかないのだらうか。をかしい。しか
しそれでも、こぶしをあけろといふ理由はない。それからしばらく
して、もう一度まはつて、うへからおりてゆくと、やはりこぶしを
にぎつてゐる。そしてちやうど、こぶしの小指のまいてゐる尻穴が
目にはいつた。そこにすこししろいものがのぞいてゐる。わたしは
咄嵯にそこにいつて、「手をひらいてみたまへ」といつた。學生は
一瞬愕然として顔をみあげ、こぶしをかたくしめた。
「ちよつとみせてくれたまへ。」

 かさねてさういつて、指でそのこぶしにかるぐふれると、やがて
こぶしは、ゆでられたはまぐりのやうにぽつかり口をひらいた。な
かからちひさな手風琴のやうなものがころがりでた。

「これはあづかつておくからね。」

 さういつて、またまはつてゆくと、さきほどは氣がづかなかつた
が、こぶしをにぎつたものがまだまだゐる。しかしそれだけでうた
がふのはまだ氣がひけたので、もうひとまはりして、相かはらずに
ぎつてゐた最初の學生に「左手をひらいて」といつた。學生はとた
んにこぶしをにぎりしめて膝のしたにかくさうとした。しかしそれ
だけの行爲があれば、なにをもつてゐるかはあきらかである。「一
應こつちにだしたまへ」といふと、それ以上かくさずにさしだし
た。

 あとはこぶしをにぎつてゐるものがあると、逡巡することなく、
みなひらかせた。ひとりもはづれたものはなかつた。加末他講師を
みると、やはりしろい紙の風琴をいくつか押収して、手にもつてゐ
た。

 試驗がをはると、加末他講師の部屋にいつて、押収したちひさな
紙の風琴をふたりであらためてみた。左右三センチたらずの帯のや
うな紙をながくつぎたし、それをまくのではなく、天地ニセンチた
らずに手風琴式にをりたたんで、ちやうどこぶしのなかに、すつぽ
りをさまるやうになつてゐる。その帯のやうな紙にうへからよこが
きで、天眼鏡でもなければみえないやうな細字で譯がぎつしりかい
てある。原文はカロッサの「ドクトル・ビユルゲルの運命」で、そ
の試驗範圍の二十頁分の譯がくまなくかきこんである。そのあとに
單語をアルファベエト順にかいて、譯がそへてある。それで紐のや
うにながいのである。さうして原文の段落ごとに、文章ごとに譯文
にそれぞれ大、中の太字のみだしをつけて、試驗問題のはじめさへ
わかれば、あとはそのつづきをうつせばいいやうになつてゐる。さ
らにそれに數字を順番にふつて、そのなかのいくつかを赤でぬつた
り、みだしを緑や青や桃いろでぬりつぶしてゐるのもある。また帯
ををりたたんだ一方を背にして、接着剤でつけて、はなれないやう
にして小型の聖書のやうにし、腹には種種の色をぬつて、みだしが
はりにしてゐるものがある。聖書といへば、これはこの學生にとつ
ては聖書よりたふといものであらう。

 これらの緻密な勞作はそれぞれ絢爛として多彩をきそつてゐたが、
全部それぞれの手がきではなかつた。つまり派手な色のなかにひそ
んでゐる文字は、なまの手がきではなくて、いちやうに共通したも
のであつた。だれかひとりが原稿をつくつて、それを複冩したので
あつた。ゼロックスとかキヤノンとかいふ會社の複冩機が學校にも
はいつて、いつのまにか學生もそれを利用、いや惡用するやうにな
つた。學生のカンニングの方法も近代化し簡便になつたのである。
ただ學生のすることにはどこか、まのぬけたところがあつて、複冩
のしそこなひをそのあたりにほつておいたので、小使のをばさんに
尻尾をつかまれ、こぶしのなかにいれるといふことがどこからとも
なく、ながれていつたのであつた。さてこの近代化によつて、これ
までにない、あらたな疑念が生じた。それはこの量産化には譯者が
著作権を行使して、一定の収入をえてゐないかといふことであつた。
しかしその疑念はあとで二三の學生にきいてみて、すぐ晴れた。
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