わたしは一旦自分の研究室にかへつて中食のパンと牛乳をたべ、
となりの控室にゆくと、宇智多先生がちやうど餡パンと紙箱いりの
コオヒイ牛乳の中食をたべはじめたところであつた。卓のうへには
パンの耳をつめた袋もおいてある。そこに合圖なしに扉がひらいて、
紺のウウルの着物に兵兒帯をまき、頭によごれた手拭をかぶつた長
身の男があらはれた。甘痴暗といふ、わたしの高等學校のときの下
級の友人で、いま厩橋で受驗塾をひらいてゐる。

「これはこれは、宇智多先生、お食事でござんすか。」

「けふはちよつと補講をやつてぎましてね。いまになつたんで
す。」

「主任の先生がなまけて、大先輩の非常勤の先生に補講をおつつけ
て、……ご苦努さんです。」

「僕はなにもおしつけたんぢやないですよ。休時間にはやくパンを
くつただけですよ。あんたはまだでせう。なんかとりませうか。」
「パンでけつこうです。その袋はなんですか。」

「これはあんたのぢやないです。鯉のです。」

「鯉」

「圖書館の鯉と、豫科の鯉のね。」

「それも宇智多先生がおやりになるんですか。」

「鯉はいつたいだれが責任をもつてやつてるか、わからないですか
らね。鎌倉の宇智多先生のお宅では、木のこずゑに餌臺がおいてあ
つて、野鳥がきてご馳走になつてるんですよ。」

「ところで今度の新入生はいかがです。」

「いやそれがね。醫科の豫科の學生に手こずつてるんです。まだは
いつたばかりなのに、二年生にそそのかされて、いつしよになつて
いろいろ注文つけてくるものだから。」

「なんの注文ですか。」

「いや要するにドイツ語の時間をへらしてくれといふんですがね。
醫科の學生はむかしもいまも打算的だからね。宇智多先生もそれで
おやめになつたでせう。」

「宇智多先生が、それはまた、どうしたことです。」

「あんたはまだきいてゐなかつたんですか。宇智多先生は最初は一
高の醫科にはいられたのに、翌年文科をうけなほして、一番ではい
られたんです。おなじ一高でも、あんたみたいに戦争ちゆうの理科
の増員にぶらさがつてはいつてきたのとはちがふんです。」

 さういふわたしのことばを、餡パンをたべをへた宇智多先生がひ
きとつて、自分で説明した。

「わたしは醫科がいやになりましてねえ。」

「それはまたどうしてです。」

「作文の時間でしたが、あるときその先生がやすんで、代講の先生
がきたんです。そしたらひとりの生徒が、この作文は本來の先生が
採點するのか、代講の先生がするのかと、きくんです。」

「ほお。」

「その代講の先生が、どうしてそんなことをきくのかといはれると、
その生徒は先生によつて、かきかたをかへなくちやいかんからとい
つたんですね、そんな打算的なことを。」

「それでどうなりました。」

「もちろん、その代講の先生は、そんなかんがへかたつてあるかと、
おこりましたがね。僕はそれをきいて、いやになりましてね、醫科
の功利的な空氣が。それで翌年醫科をやめて、文科にはいりなほし
たんです。おやぢは文科なんかにいくんなら、月謝はやらんといつ
て、月謝をださなくなりました。」

「宇智多先生はそれに一高のドイツ語の先生がたのをしへかたも、
よくいはれないんですよ」と、わたしが口をはさんだ。

「岩元さんとか、菅さんとか、あんなをしへかたはね、をしへるつ
ていふものぢやないですね。」

「文法なんかでも、こまかいことは説明しないで、これはかうぢや
といつて、そこをさすくらゐで、三ヶ月もたたないうちにすんでし
まふし、講讀は講讀で、岩元さんなら自分でどんどん譯し、菅さん
は生徒に譯させただけで、一時間、正味四十分の授業で五頁も六頁
もすすんだんですけど、それでけつこう、なんとかついていつて、
力がついたんぢやないでせうか。」

「あんなのはをしへるといふんぢやないですね。大學にはいつて、
上田先生に、一高からきた學生は一高にはいつたときは優秀だつた
んだらうが、あんなをしへかたをされるんでできなくなつてしまふ
といはれたことがあります。」

「それは、こまかいことはをそはらなかつたかもしれませんが、總
合的な讀書力はついてるんぢやないでせうか。」

さういつたときに學生がふたり「宇智多先生はいらつしやいます
か」といつて、はいつてきた。

「あしたの先生の時間をいただきたいんですが、豫科の學生大會の
準備をしたいんですが。」

「全部はあげられないが、すこしはやくやめませう。」
「おねがひします。」

學生ふたりはさういつて、でていつた。

 それにしても一高の岩元先生の天才教育を批判して、自分は懇切
丁寧なをしへかたをする宇智多先生がいま學生にむつかしすぎると
いはれて、ストライキの裏の對象となつてゐる。かつて醫科の生徒
を功利的だといつて、まじはることをがへんぜず、あつさりと醫科
をやめた、そのおなじ人が、戦後はわづかに第二外国語を習得しう
る能力のある組としてのこつた醫科ををしへるのを、やりがひのあ
るしごととしてゐる。時代がかはつたのである。

 そこにまた郵便受けの音がしたので、甘がそれをとりにいつた。
醫科大學本科の學生の發行してみる「厩橋醫科大學新聞」で、なか
に「試驗について」といふ論説がのこつてゐた。

  試驗とは時代錯誤の遺産、いな遺物である。試驗のときに不正
 行爲を厳禁するといふ掲示がでるが、それをまもるものがどこに
 あらうか。なぜなら試驗問題のたつた三つか四つのために、試驗
 にでもしない、その數倍、いなその數百倍ものものを暗記するよ
 り、隣の答案でまにあはせるはうが、はるかに近道だからである。
 それはエネルギイ節限の方則にかなふのである。スエズ運河が開
 鑿されたときに、だれがはるばるアフリカの希望峰を回航しただ
 らうか。

  語學の試驗、ことにドイツ語の試驗はもつぱら暗記をしひるも
 のである。たとひ厖大な時間とエネルギイをつひやして、出題者
 の要求するものを全部正直に暗記しても、これは數年後には八割
 がた記憶より喪失してゆくべきものである。またもし大部分記憶
 にとどまつてゐても、それはわれわれ醫學生にとつて無用の知識
 にすぎない。日本の書學にとつて、オランダ語が明治の初期に死
 物化したやうに、第二次大戦後はドイツ語が第二のオランダ語化
 した事實を當事者はどうみてをられるのだらうか。そのドイツ語
 を文部省の規定以上に必修にして、そのうへに試驗を課するのは、
 時代錯誤の最たるものである。

 わたしは一讀して、なるほどこれが醫學生の倫理かとおもつた。
そしてもし倫理にもつとも敏感に反應するはずの青年期の倫理観が
これなら、いまおなじ醫科大學新聞でさかんに非難してみる首相の
五億圓収賄事件をどうみてゐるのだらう。すくなくともかれらには
非難する資格はないはずである。

 一方ドイツ語が第二のオランダ語化したといふ論はわたしの心を
動揺させた。それを否定するのはむつかしい。時代はかはつてゐる。
さうおもつたときわたしは、豫科生や卒業生にであつたときに、と
きどき「豫科にきてはじめてならふのはドイツ語だけです。ドイツ
語だけが豫科で興味のある課目です」とか「先生、だいぶ點があま
くなつたといふものがありますが、先生、後輩をあまやかさないで
ください」といつたのをおもひだして、動揺した心をおちつかせた。
さうだ。この論説は豫科のうごきにたいする側面からの支援であら
う。

「なにがかいてあるのですか」と甘がいつたが、わたしは「あと
で」といつたまま、それををりたたんで、かばんのなかにしまつた。


 梅雨がちかづいて級對抗の球戲大曾の練習がさかんになつたころ、
學生のうごきはいつのまにか、をさまつてゐた。ドイツ語十一單位
を八單位にするといふ案は豫科の級曾で否決され、したがつて、學
生大曾にもちだすこともできず、またいきなり團體交渉にもつてゆ
くこともできなかつたのである。
< 前のページ