翌日試驗のはじまらないうちに控室にきてゐる宇智多先生のとこ
ろにいつて、朝の挨拶をした。宇智多先生のまへの卓のうへにはい
つものやうにパンにパンの耳をいつぱいつめたビニイルの袋がおい
てあつた。そこにきのふの依頼にしたがつて加末他講師がやせがた
の短躯をあらはした。加末他講師は無類の朝寝なので、十時半以降
の授業にふりあててあつたので、こんなにはやく學校にきたのはは
じめてであつた。

「それはなんです。」

 加末他講師はそのビニイルの袋をみて、宇智多先生にたづねた。

「ピイタアパンです。」

「え、ピイタアパン」

「厩橋の驛のまへに今度ピイタアパンといふパン屋ができましてね
え。」

「ああ、あそこで買つていらしたのですか。」

「だからピイタアパンです。」

「でも、それはパンの耳ぢや」

「これはもらつたんです。鯉のために。.」

「鯉に」

「圖書館の鯉と豫科の鯉に。」

「圖書館のまへに池があるのは知つてるんですが、豫科の鯉といふ
と、どこにゐるんでせう。」

「豫科の専任が知つてなければどうしやうもないなあ。講堂のうら
にあるんですよ。」

「ああ、あそこが豫科の鯉なんですか。」

 そこでわたしは口をはさんだ。

「宇智多先生、それはさうと、これから先生の試驗でしたね。わた
しはちやうどあいてますから、監督のお手つだひをしませう。」

「さうですか。」

「わたしができないときは加末他君がするさうですから。」

「ありがたう。」
 宇智多先生はわたしがおそれてゐた「それにはおよびません」と
いふことばを發しなかつた。公務に関するかぎり主任であるわたし
をたててゐたのである。

「醫科の學生はね。頭はいいんですが、カンニングがおほくて。」
 わたしはそれだけつけたしていつた。

 教室に宇智多先生についてはいると、一部の學生に動揺のいろが
あらはれた。左右の列だけでなく、なるほど中央でも隣はひとりあ
けるべきところをつめて、隣がみやすくしてゐるものがかなりゐる。
わたしはそのあひだをあけさせ、指定の列にならばせてゐるあひだ
に、宇智多先生は答案をくばり、ひきつづきわたしが成績票をくば
つた。

「最初に成績票に名前と番號を記入して、机の左はしにおいてくだ
さい。」

 宇智多先生は特有のかんだかいこゑをひびかせて、さういつて、
すぐに成績票の回収にとりかかり、わたしもそれを手つだつた。そ
れがすむと、「念のためにこれから出席をとります」といつて、
「阿倍君、赤坂君」といつて、閻魔帳に出缺をつけはじめた。成績
票の提出ですでに出缺がわかるのに、そこが宇智多先生の几帳面な
やりかたで、微をしるし、細をかきこんだ閻魔帳の内容がかうして,
充實してゆくのであつた。

 閻魔帳をつけをへると、宇智多先生は「それでは念のためにこれ
から問題をよみます」といつて、問題のドイツ文を音讀しはじめた。
それがすむと、「それぢや、答案をかいてください」といつて、や
うやく學生の鉛筆のはしる音がきこえてきた。

 そこで、「それぢや、どうぞ」といふわたしのすすめで宇智多先
生ははじめて教壇の椅子に腰をおろして、前日の試驗の答案をつけ
はじめた。宇智多先生のふたつの眼は机のうへの答案のうへにそそ
がれ、わたしがいま教室のうしろからそれをみると、眼のない、た
だ白髪のふさふさとした頭部のみが學生に相むかつてゐる。わたし
はそのあひだ學生の席のあひだの通路をゆつくりまはつてあるいた。
左右両側、うしろ、それから中央、わたしはどこをあるいてゐても、
左右両側に注意をむけてゐた。しかしなにごともない。

 宇智多先生はこれまでも、いつもかうだつたのだらう。先生は學
生の良心を信頼してゐたのだらう。宇智多先生は大正二年から六年
まで高等學校に在學してみて、學生は自治を標榜してゐたから、試
驗のときでも監督されるのをこのまなかつたし、人の力をかりて點
をますのを恥とした校風のなかをすごした人である。おなじ學校に
二十年以上ものちの昭和の十年臺にわたしがはいつたとき、わたし
が経驗したこともさうちがはなかつた。ある先生は試驗のとき、最
初は椅子に腰をおろし、片手にドイツ書をもつてよんでゐたが、や
がてだまつて教室からでていつて、十分か十五分もかへつてこなか
つた。しかし不正行爲をするものはひとりもゐなかつた。宇留多先
生はさういふ雰圍氣が身についてゐて、大學を卒業して、はじめて
赴任した佐賀の高等學校でもおなじやうに學生を遇したのだらう。

 しかしいまは學生がちがふ。宇智多先生はあひかはらず教壇で採
馳に餘念がなく、眼のかくれた白髪の頭のみがこちらにむかつてゐ
る。いつもなら、このあひだに魑魅魍魎が暗躍してゐたのだらう。
わたしはときどきうしろの椅子に腰をおろして休憩し、またたちあ
がつて教室をまはつた。窓そとのむかひの事務棟には冬の日があた
つて、鳩がいくつもひなたにとまつてゐた。


「落第が三十九人でました。」

 翌日あふと、すぐ宇智多先生がさういつた。左右の列の連中、う
しろの連中、それに席と席をよせあつてゐた連中であらう。

「そのうち五十九點から五十點までは十一人で、四十九點から三十
五點までが十三人、三十四點から零點までが十三人もゐます。こん
なに落第がでたのははじめてです。勉強しないのがおほくなりまし
たねえ。」

「たぶん、なにかあてがはづれたのでせうね。」

「再試驗をうけることになりますか。」

「さうですね。カンニングではないですからね。先生の試驗をいれ
て落第點が四つ以内だと、再試驗をうける資格があるんですが。」
「しかし再試驗をうけても、三十四點以下だつた學生は及第はむつ
かしいですね。この點も勘定にいれますからね。」

「それは先生のご自由に。」

 再試驗は一般にはあまい點數をつける教官がおほかつた。落第が
四つ以内ならあげてもいいといふ考が底流にあつた。それなら四つ
以内は無條件であげればいいのに、それができないところに單位制
度の矛盾があつた。
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