'01年・ドイツ再訪の巻
1.成田とフランクフルト
 以前、千歳行きの際に、バッグ内のアーミィナイフがセキューリティ・チェックに引っ掛かり、バッグの中身を全部出させられた。
 今回は用心して(このナイフにはワインのコルク栓抜きが付いているので、必需品である)、それを家内に預けたが、今度は身体チェックに引っ掛かった。
 ポケットの中身全部を出させられた(時計、コンパス、薬、小銭入れ等)が、それでも反応する。
 向こうも、さて次はどうするかというような顔をしているので、「金属のボタンのせいじゃないの?」と言ってみたら、やっと放免された。
 あとで気が付いた。チョッキのポケット(六つ)のひとつに折り畳み式の小型のハサミと爪切りをセットにしたものを入れていて、取り出すのを忘れていた。
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 チェックイン・カウンタで尋ねたら、この航空会社はリコンファーム(再確認)をしなくともよい、とのことだったが、念のために、もう一度、機内の乗務員にも聞いてみた。
 答えは同じだった。
 二十年前に、知り合いのドイツ人にリコンファームを頼んだ。
 「ちゃんと連絡をしておいた」というので安心していたのだが、やはり人頼みはいけない。
 どういう手違いからか、帰りの搭乗手続きの際に、リコンファームがされていないと言われ、チェックインカウンタで、30分ぐらい押し問答をした。
 それでも埒が明かず、遂には上役が出てきて、もう少し待ってくれ、と言う。
 しばらく経ってから戻ってきて、これしか空いていないからと、ファーストクラスの席を宛てがってくれた。
 これはまったくの怪我の功名であった。
 このときの赤ワインと白ワイン(銘柄は何だったのか、さっぱり憶えがないが)の口当たりのよさと、血の滴るような、そしてぶ厚いビーフステークの旨さは、今でも憶えている。
 それに比して、何という違いか、このたびの機内のワインはまずかった。
 これに懲りたので、旅の終わりごろに買ったトスカーナの赤は、帰りの機内用にと、飲み残しておいた。
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 フランクフルト空港のターミナル2に着いたので、手当たりにいる人に聞きながら、レヴェル4へ昇った。
 そこから、スカイ・ラインというターミナル間の高架の連絡電車で、ターミナル1へ行き、このあたりの様子が、おぼろげな記憶とは一変しているので、またぞろ人に聞きながら、エスカレータで、なんとかレヴェル−1(地下)まで降りた。
 地下のSバーン(郊外電車)のホームの雰囲気はあまり変わっていないような気がしたが、
それでも、なかなか迅速には事が運ばず、この空港駅の乗車券自動販売機の反応が鈍くて、
6.10 DM の切符を買うのに少し手間がかかった。
 とにかく、Sバーンに乗って、10分ほどでフランクフルト中央駅(Frankfurt Hbf)に着いた。
 今日泊まる予定の宿には、午後7時ごろに入ると、あらかじめファクシミリを送っておいた。
 すでに7時を少し回っていたが、あすの朝からさっそく行動を起こせるようにと、駅のライゼ・ツェントルム(旅行センタ)で レイル・パスにスタンプを押してもらった。
 この日のフランクフルトの日の入りは 21時ちょうどなので、外はまだまだ明るいが、夕方の時間に、大きな駅の中央出入り口でうろうろすると、胡散臭い連中に出くわさないとも限らない。
 まだ勝手が分からなかったが、ホテルの方向の見当をつけ、わかった振りをして、このザックバーンホーフ(終端駅:terminus)の南東の端の小さな出入口から外に出た。
 Frankfurt Hbf は、ザック型の駅なので、線路が行き止まりになっているから、到着した列車は、次は逆向きになって発車する。
これは地上部の列車だけで、地下を走るSバーンや Uバーンのたぐいは停車後、そのまま地下を通り抜ける。
Die Stadtplan oben: aus
"Baedekers Reiseführer, Deutschland."
1984, S.118
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