'01年・ドイツ再訪の巻
0.旅宿の段取り
 前にドイツへ行ったときは 1981年の夏だから、今回は二十年ぶりの訪問である。
 ほとんど浦島太郎だ。
 ドイツ全土をおよそ反時計回りにまわることにして、まずは宿をどうしようかと思った。
 前回は高層ビル型のホテルとこぢんまりとした昔風な3、4階建てのホテルとの両方に泊まった。
 高層ビル型は無難だが、いわば無国籍タイプであり、面白みに欠ける。
 それにたいし、小さめの宿は、だいいちに趣きがある。
 おまけに格安である。
 当時は、一階の食堂で、これは別料金だが、夕食も食べることができた。
 小生の知識では、こういうタイプの宿はガストハウスというものだと思うが、今回は、おもに小さめの宿を選んだのだけれども、結果的に、このような(レストラン付きの)タイプには出くわさなかった。
 かつてのガストハウスの食事は、日本の定食屋のメシがうまいのと同じように、じつにうまかった。
 そして二人部屋で(これがひとりで泊まるより、ふつうは遥かに割安)、95マルクとか96マルクだった。当時は1マルク= 95円だったから('018月現在は56円)、ひとり当たり4,500円ちょっとである。
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 その後もう二十年も経っているが、ドイツのことだから宿賃の相場はそんなには変わっていないだろう、と高をくくり、市販の個人旅行の案内書やインターネットを利用して、FAX 番号や e-mail のアドレスを調べ、部屋数がなるべく 20 ないし 30 のところにあたってみることにした。
 宿泊の予定日を入れ、朝食込み(これは普通)、(バス付きではなく)シャワー付き、今回は連れがふたりいるので、三人用の部屋、料金はミュンヒェンとベルリンだけリミット 250マルクにして、他は 200 ぐらい、という条件で、10軒ぐらいのところへ、FAX e-Mail を送ってみた。
 すると、送ったその日の夕方から夜半にかけて、半分以上のホテルから、ドカドカと返信が送られて来た。三日後には全部の返事が揃った。
 そのうちのふたつほどは、意に沿わない点があったので、キャンセルにして、他の宿に変えたりもしたが、ともかく、ほとんどがこちらの条件どおりの部屋とその料金を呈示してきた。
 そして、実際に泊まってみて、精算の際に 10%のサービス料を上乗せして請求してきたところが1箇所あっただけで、あとは予めの返信の金額と完全に一致していた。荷物を運ぶボーイもいないから、チップもいらない。
 合計で15泊したが、平均して、三人で一泊 215マルクだった。
 日本円に換算して 12,000円ぐらいだから、ひとり 4,000円の勘定である。
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 あとは、移動の手段として鉄道を使うつもりだったので、やはり費用の経済をはかって、ジャーマン・レイル・パス の TwinYouth を、日本で購入しておいた。
 等級は二等にした。
 二等の方が、地元の人とか、旅に馴れた人が乗るので、情報を得やすい。
 そして、インターネットでDB(ドイツ鉄道)のホームページ <http://www.bahn.de/pv/index.shtml> を開いたら、ドイツ国内のすべての列車の運行がわかるようになっていた。
 たとえば、ミュンヒェン中央駅からニュルンベルク中央駅へ、何月何日の何時以降の列車、と指定すれば、その時間帯の列車が 、乗り換え駅と乗り換え列車まで含めて、上の図(一部分)のように、 詳しく示される。
 発着番線まで(そして料金も)表示してあるから、移動の計画を立てるのには大いに役に立った。
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 インターネットでは、現地の一週間の天気予報もあらかじめ手に入るので、これも衣類の用意をする際の役には立つ。
 ただし、そこはお天気のことだから、そんなに当てにはならない。
 今回も、8月7日から10日にかけては、日中 21℃から 23℃、曇りときどき雨、その後の二日間は、晴れときどき曇りで気温は低め、という予報だったが、当たったのは、これは幸いなことだったが、初めの二日間だけであった。
 三日目からは天気が良くなり、気温も上がり始め、27、8度になり、4日目以降は、連日 30度を越えた(もちろん朝方は 20度を割っていたが)。
 最高気温が 34度あるいはそれ以上の日が、おおげさではなく、本当に7日ないし8日間はあった。
 かの地のテレビは、ほとんど前代未聞の暑さ、と言っていた。