いまは むかし
                  鎌 田 忠 男
 仙台の大学で、転学科をしたり、落第をしたりして、
なかなか進級をせずに、居座っていた。

やっと八年目にして、修士過程の二年生になった。

それで、あらかじめ主任教授の柴田先生に、
もし就職口があればお世話願いたいむね、頼んでいた。

十月の末ごろだったろうか、先生が呼んでいる、と助手のWに言われた。

先生の部屋に伺うと、
G大学から募集が来ているが、どうか、とのことである。

かの地の何たるかは、皆目わからなかったが、
ドイツ語に関わって、糊口を凌ぐことが、もしできるのであれば、
それはたいへんありがたいことなので、
結構です、宜しくお願いします、と答えた。


 そののち、幾日か経ってから、また呼ばれ、
G大のひとが面接をしたいそうだから、連絡を取って出かけてみるように、
と言われる。

水曜日が都合がよい、と聞かされていたので、
11月の半ばに、あらかじめ電報を打って、朝早くの東北線の急行「八甲田」に乗った。

小山で、両毛線の電車に乗り換えると、
車窓から、屋根がわらを留めている漆喰やら、桑畑などが目について、珍しかった。
車両内では、中年のおばさん同士が、
互いに、ずいぶん離れた席に座ったまま、大きな声で掛合いをしていた。
土地柄を感じさせる光景だった。


 前橋駅に降り立つと、いまはもうないが、風情のある、古いレンガ造りの駅舎だった。

駅前で、コーヒーを飲み、眠気を覚ましてから、
めったに乗ったことのないタクシーをつかまえ、北の端の大学へと向かった。

正門前でタクシーを降りると、
いまもある、門を入ってすぐ左横の、守衛の詰め所が、目に入った。

そこで、ドイツ語の田中先生の研究室を教えてもらい、
いま思うに、おそらく教養部の事務棟に入り、
もう忘れてしまったが、そこでもう一度、だれかに尋ねたような気がする。

ともかく、吹きさらしの通路を、人文棟へと向かうと、
途中、鼠色のよれよれの背広を着た、
すこし前こごみの、背の高い、先生らしき人とすれ違った。

ぜんぜん面識がなかったが、そのとき、はっと思って、声をかけてみた。

そのひとが田中隆尚先生だった。


 年が明け、3月も末になったころ、田中先生から電話があり、
学内紛争で、期末試験もまだ終っていない、
いまのところ、新学期はいつ始まるかわからないから、
しばらくは、自宅で待機しているように、と言われた。

そのつもりで、ゆっくりしていたら、
4月の中頃に、G大学の事務の人から、突然、
大学へ出てくるように、という電話があった。

何の用意もしていなかったので、
慌てて、荷物をまとめ、チッキにし、そそくさと前橋へ向かった。