'11年・北イタリア散策 >>
06-1.<< 8/7(日)港町ジェーノヴァへ >>
きのうのチェックインのときに「朝食は8時から」と聞いた、と思ったが、

食堂には「8時半から」と表示してあった。が、あとは交渉だ。

それで翌朝(つまり今朝)フロントに「朝食は何時からか?」と聞くと、

「8時半か20分から」―「われわれは8時半に出発したい」―「それでは5分待ってくれ」

出てきた朝食は、まことに貧弱。市販のクロワッサン、ビスケ、オレンジジュース、

それだけ。カップチーノを頼むと「もう少し待ってくれ」。

まったくロクなものはないけれども、早めに出してくれただけ、ましとする。

さほど文句はない。


駅の電光掲示で番線を確認。5番線。1号車(1等車)の停車位置がわからない。

ホームで、身だしなみのよい中年の男性がいた。

近づいて尋ねてみたが、「車輛の位置はよく決まってない」とか何とかと、

要領を得ない。連れのところに戻ると、

「今さっき車掌のようなひとが歩いていたのに、何ぼんやりしているの!」と憤慨している。

急いで、その方向にゆく。階段の下の方に制服の人が見えた。後ろから声をかけて、聞いた。

「左の端」とのこと。言われた方向(東の端)へと荷物を運び、待つ。

フィレンツェ発ジェーノヴァ行きエウロスターの1号車がぴたりと目の前に停まった。

車内は、ほかに老紳士がひとりだけ。それはあとでわかった。

初めは、3つほど前の右手の席に、新聞の束だけが(読み捨てられた風に)置いてあった。

車掌が回って来て、その新聞を拾い、こちらの検札をして去って行った。

そこに紳士が来た。かの新聞の束があった席にゆくも、もう新聞はない。

われわれの席の脇に来て「新聞を誰が持って行ったのか知らないか」と聞く。

「車掌」と言うつもりで「運転士だ」と言ってしまった。

でも、わかってくれたようで、しばし後、新聞の束を抱えて戻ってきた。

老紳士は、脇を通るときひょこっと頭を下げ、自分の席に着き、

以後、ずつと新聞に読みふけっていた。どこだったか、途中の駅で降りた。


11時すぎ、ジェーノヴァ・ピアッツァ・プリンチペ駅に着く。ここも宿は駅前。

チェックインは14時からというので、荷物は、言われて、食堂のテーブルの下に置いた。

まわりを見た。朝食は少し品数がありそうな気配。

こういう場では半ズボンに着替えるわけにもゆかず、長ズボンのまま出かける。

短いのに履き慣れたら、長いのは煩わしい。きょうは珍しく曇りでさいわい。

バルビ通りを東へ。王宮の建物をくぐり、港の見える中庭でひと休み。

有名な3宮殿(ビアンコ、ロッソ、スピノーラ)のすぐ近くのインフォで

地図をもらいがてら、チケット購入のことを聞く。「向いのブックショップで」とのこと。

この中心街(ガリバルディ通り)の先まで行って、右(南)へ折れる。

デ・フェラーリ広場に出るその手前に、おいしそうなピッツェリア。

日曜に開いているとはめずらしい。目に止めておく。

アーケード街9月20日通り (Via XX Settembre) は途中までで、引き返すことにする。

町の雰囲気はおおよそ掴めた。なかなか重厚な町だ。

かの店で、生ハムとモッツァレラのパニーノを注文し「持ち帰って、夕方に食べたい」と言うと、

銀紙に丁寧に包み、それから紙の袋に入れ、愛想よく渡してくれた。

応対のよいところにはまた来たい。

「明日の午後は何時に開くのか」―「午後はずっと開けている」

ガリバルディ通りへと戻ると、スーパーがあった。リンゴとトマトを買う。

そのそばの、先ほどのインフォメーションにもう一度立ち寄り、

さきほどと同じおネエチャンに、山手側に登るエレベータとケーブルカーの乗り場のことをきく。

もらった地図には近間にアッシェンソーレ(エレベータ)が二つ、

フニコラーレ(ケーブルカー)がひとつ載っているが、
「いまはアッシェンソーレがひとつ

動いているだけで、あとは閉鎖」

とのこと。

「少し西のフニコラーレは動いている。

プリンチペ駅脇のアッシェンソーレも

動いている」との話。

citavo la "Pianta di Genova"
© 2010, M&R Comunicazione - Genova
午後2時、宿に戻る。部屋は4階。リニューアルした様子だが、薄壁。まずまずよしとする。

冷蔵庫があった。
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