'10年・シチリアとプ−リアへの旅 >>
03-1.<< 8/4(水)一路シチーリアへ、最悪の相客 >>
早朝6時半に支払いを済ませ、宿を後にする。

朝食用と昼食用のパニーノとピッツァを、駅のスタンドで買い、11番ホームに行く。

列車はもう既に入っていた。

われわれの4号車(1等)は、幸い、シラクーザ行きだった。

これならメッシーナで乗り換えずに済む。

席は通路側の向かい合わせ。家内を車室に残し、ホームに降りて、刻印機を捜しまわる。

どこにも見当たらない。

駅員を見つけ、聞くと、その必要はないとのこと。

どういう基準になっているのだろうか。

車内に戻ると、太めの年輩の夫婦(と思えた)が右隣(中央と窓側)にいた。

こちらも、もう既に年金生活者の老夫婦だが、もうひとまわり年上と見た。

すぐに話しかけてきた。こちらのイタリア語はおぼつかない。

「英語は話せるか」ときたから、

「話せる(もちろん事実ではない、ブロークンもいいところ)」と言ってしまったが、

これが、大いなる失敗だった。しかしこういうことは予想がつかない。

もしもわかっていたら、「英語は知らない」と言って、

ダンマリを決め込めばよかったのだが、それは後知恵。

まずナーポリまでの2時間、延々と止めどなく、話しかけられた。

「ふたりは夫婦ではなく、兄妹であること、

男性の方は肝臓ガンの手術を2回行ない、奇跡的に助かったこと、

もしできればオーストラリアへ移住したいと思っていること」

(ふたりとも独り身なのだろうか?)

こういう話は、まあ、日常的な話題で、

「メインの話」の、その合間に、耳にしたことなのであるが、

(主に男性の)その延々たる話の「主題」は

「人種、宗教、そして政治に関すること」であった。

そしてこれらのことについて、かなり偏った見解を(と思えた)、

しかも、はばかることなく声高に、述べ続ける。

われわれのコンパートメントの脇の通路を、様々な国の人たちが行き来するが、

その折に、彼らをも(その人種を見て)話の餌食にする。

これには、まったく参ってしまった。

ほとんど、もうダウン寸前。という状況のなか、

ナーポリから若い夫婦とその仲間たちが乗り込んできた。


この若夫婦が残りの斜向かいの二つの席に腰を据え、かの偏狭老人の話し相手になった。

こんどはこの若主人が(イタリア語で)蕩々と

「自分の仕事のこと、家庭のこと」を話し始めた。

ほとんど理解できなかったが(聞き取ろうという気力もない)活発で明瞭な話し方だった。

ともかく、こちとらは解放された。

ようやくのことで、外の景色を眺めることができるようになった。
〜〜〜〜
ヴィッラ・サン・ジョヴァンニで、列車は何両かづつに分解され、船倉に入る。

かつて青函連絡船にも、貨車ごと(客車ではなく、貨車だけ)積み込むのを見たことがある。

荷物を置いて、みんな甲板に出る。

荷物を置きっぱなしというのは不安だが、車室の電気は消え、なかは蒸し風呂状態になった。

出ざるを得ない。
キャリア付きの荷物は置いて、

ワインのボトルも置き、

大事なカバンだけ、

いささか重いが、

肩に掛けて出ることにした。

(このタイプのフェリーに車輛を載せる、車も)
甲板からの景色はよかった。風がとても心地よい。

メッシーナに着いた。

テルミニからの列車は、二手に分かれ、

ホームを挟んで、パレルモ行きとシラクーザ行きとが並んだ。

これなら、車輛の移動はたやすい。

パレルモ行きが、先に出、こちらのシラクーザ行きは、少し遅れて発車した。

同室の若き夫婦は、その仲間と、タオルミーナで降りてしまった。

ふたたび、こちらは「偏屈老人」の標的となった。

「失礼しますが、シチーリアは初めてなので、

ぜひとも窓からの景色の眺めていたい」と言ったが、

そしてその後、しばらく経ってから、繰り返して、お願いしたが、

馬耳東風、暖簾に腕押し、蛙のツラにション○○。

とくとくとして先般来のテーマを繰り返す。

それどころか同じ内容の話を何度も。

やっとわかってきた。おつむの方が少しあたっている。

ローマ・テルミニを出てから11時間余り、ようやくシラクーザに到着した。

われわれの車室の両方の棚は荷物でびっしり埋まっていたが、

他の室のひとの荷物も混ざっているものと思っていた。

そうではなかった。この全部が(7、8個かそれ以上)このお二方の手荷物だった。

大変な量である。

家内によれば、小生は知らなかったが、ローマではポーターが運び入れた由。

それはともかく、これで解放される。ほっとした。
〜〜〜〜
ホテルへの道(方向)はすぐ見当がついた。コースはほぼ一本道でわかりやすい。

ただし、遠かった。

シラクーザはオルテージャ島が町の中心(旧市街)ということで、

遠いけれども、あえて由緒ありげな名前のホテルを選んだ。

値段も e-mail で、一泊 100€ を希望したが、無視され、

125€ と結構な額を提示して来た。

それで気位が高い宿で、中身もそれ相応、かと思ったのだが、案に相違した。

エレベータなし、無味乾燥な部屋。

調度品も安物。バスもなし、シャワーだけ。湯の出もよくない。

これでローマの宿の倍とは、これで 125 とは、ボッタクリだ。

外に出て、夕食用にと手ごろなサンドと菓子を買う。これがまた、まずい味だった。

今日はふんだりけったり最悪の一日。

家内も、頭痛がすると言って、飲み食いもロクにせず、

ベットに倒れ込み、すぐさま寝入ってしまった。
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