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14-2.<< 8/19(日) プラーターとベル・ベデーレ(2) >>
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(Fortsetzung )
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ひと休み後、市電 0番線に乗り、
ヒンテレ・ツォルアムツシュトラーセ(Hint. Zollamtsstr.)で N番線に乗り換えた。
N番線の停留所シュヴェーデンプラッツ(Schwedenplatz)で降り、
環状線の1番線か2番線に乗ろうとしたのだが、どういうわけか、どちらも無い。
それで、乗り換える場所を間違えたかと思い、降りたN番線の電車に、乗り直した。
そうしたら、その電車は、あろうことか、すぐに運河を右に(郊外の方向へ)渡ってしまった。
あわてて、次の停留所 Gredlerstr.(だったか)で降り、今度は歩きで橋を渡って戻り、
さきほどの電停(Schwedenplatz)に戻って来た。
周りを見渡してみた。線路をよくよく眺めたら、この辺りは複々線になっていて、
Nや21番線と、環状線の1、2番線とでは、乗り降りするホームが違っていた。
我々が1番線の電車に乗る真際、観光客とおぼしき女性が、こちらの袖を引っ張って、
狼狽ぎみに「N-car ?」と叫ぶ。― 「いや、1番 (Nein, eins!)」 ― ドアが
ピシャッと閉まる!
N番線の電車には、向う側の(先ほど我々が知らずに、1番線の電車を待っていた)
N および 21番線用のホームからでなければ、いつまで待っていても、乗れない。
も少し間があるときに聞いてくれたら、よかったのに。
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シュタットパルクが過ぎてからの停留所で降りた。
前に泊まった宿の近くゆえ、この辺の地理はだいたい分かる。
少し歩いて、Schwarzenbergpl.から 71番線に乗り、二つ目の停留所で下車した。
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ベルヴェデーレ宮殿 (下宮:Unteres Bervedere) の真ん前だ。
庭園の中に入りオーベレス・ベルヴェデーレ(上宮)まで歩き、
宮殿に入る。
クリムトの絵、ゴッホの絵、その他もろもろ、
割とよい美術館、という印象。
Belvedere は、イタリア語(bel vedere うつくしい眺め)
だった。
見学しているうち、何気なく、
「汽笛一声新橋を...」の時代の、鉄道駅舎内を描いた一枚の絵が、
目に止まった。
着飾った紳士淑女が蒸気列車の脇に群がっている。
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Der Stadtplan oben: aus "Wien",
Hallwag AG, Bern, 1988
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絵の横に添えた説明書きに:
「1875年、ヴィーンのノルトヴェストバーンホーフ(北西駅)に列車が到着」 とあった。
「北西駅」などという名前の駅は、今のウィーンにはない(と思い)、監視員のひとりに、
「ノルトヴェストバーンホーフとは、どこの駅のことか」を聞いてみたが、「わからない」。
出口のところのインフォメィションに、年輩の婦人が坐っている。
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声を掛けてみた。
すると「所蔵画のカタログ」と思しき、
ぶ厚い本を何冊も引っぱり出して、
当の絵の写真と解説のついた項目を
開いてくれた、が、やはり、
「北西駅のことはわからない、
私はヴィーン生まれでないので」。
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Ankunft eines Zuges an Nordwestbahnhof in Wien 1875.
Carl Karger, Wien 1843-1913
( Wien, Oberes Belvedere - Sammlung)
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連れが、出口脇のショップを見ている間、ふと、
少し遠くに立っていた、お年寄りの係員の姿が、目に入った。
思いついて、近寄って行って、挨拶をしてから、
「古いヴィーンのことをご存じか?」と聞くと、「知っている」というので、
かの駅のことを出すと、即座に、「今でもその駅はある、今の名前はフランツヨーゼフだ」。
フランツヨーゼフは、確かに「ウィーンの北西」にある。合点がいった。このときは。 |
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宮殿の裏手(南)のアルプス庭園(Alpen Garten) を通って、真南の出口を出ると、
通りを挟んで、右前方がズィートバーンホーフ(南駅)だった。
交差点を横切って 18番線の電車を待つ。「3分後に来る」と電光掲示に出ている。
最初はずいぶんウロウロしたが、もうだいぶ勝手がわかってきた。
ウィーンの街は、地下鉄と電車を乗り分けて利用すると、どこへ行くにもとても便利がよい。
そしてわかりやすい。
ひと駅で、南チロル駅(市電の駅がここでは地下)、
ここで地下鉄1号線に乗り換えて、Karlsplatz で降りる。 |
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