'06年・スペイン彷徨
15-1.<< 8/17(木)-18(金)、帰路、乗り換え便の変更>>(1)
今日は早出なので、5時起き。

テレビの天気予報では、ほぼスペイン全土に、雨のマークがついている。

スペインにも、夏に、雨が降るのか? 

最高気温が、マドリッド22℃、トレド24℃の予報。

今回の旅行中、暑い暑いと言っていたが、天気に恵まれたというのは幸いだった、ということか。

地下鉄を2度乗り換え、バラハスへ向かう。

Barajas 行きの8号線の車中、何となく終点のバラハスまで、と思いつつ、

路線図を取り出してみて、終点のひとつ手前に Aeropuerto とあるのに気がついた。

多少慌てて、隣の席の兄チャンに、エアポート駅でおりるべきかどうか、を聞く。

「空港へは、次の停車か?」

「シ」と言ってから、少し間をおいて、「どこへ行くのか?」

「ドイツ」をスペイン語で何と言うか知らないので、

フランス語で「ラルマーニュ」と言ったら、

「それならその駅でよい。」

あとで調べたら、「アルマーニュ」は、スペイン語では「アレマーニャ」と、

幸い、よく似た発音だった。

そして、これもあとでわかったのだが、

British Airways とか Japan Airlines の発着ターミナルは、新設の T4 になったので、

これらの便を利用する人は、8号線の終点 Barajas から

バスでターミナルへ向かうことになるようだ。

ゆえ、「ハポン」などと答えていたら、

「終点まで行ったほうがよい」と言われたかもしれない。

教えてくれた人は、見るからに通勤者の格好だった。

空港関係者だったのかどうか。
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チェックイン・カウンターで、手続を済ませる。

「ゲート番号はまだ決まっていない」とのこと。

インフォで聞くと、「おそらくC50ではないか。」

それで、C50へ行き、そこの待合室で腰掛けていると、まわりの人がだんだんいなくなる。

モニターで確かめると、ゲートがD62に変更になっていた。

ボーディングタイムが9時30分なはずなのだが、9時51分になっている。

「2、30分の遅れか?」と、初めは思ったが、とんでもない、

1時間以上も、出発が遅れるようだ。

今朝は早起きし、朝食も6時前に取ったので、腹もへってきた。

11時55分になって、やっと搭乗手続きが始まった。

機内に入り、席に着く。窓ガラスを雨が叩いている。

町歩きのときは、天気に恵まれたということだ、この冷たい雨ではとても町は歩けない。

帰りの便は、いくら遅れても、どうってことはない。こちらには、急ぎの用はない。
朝のバラハス空港  08:46, 17 de agosto de 2006, Aeropuerto de Barajas
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結局、1時間40分遅れで、離陸した。

しばし、激しい横揺れ、こちらは内心穏やかでない、が、まもなく安定した飛行に移る。

ベルトサインも消え、スチュワーデスが回って来た。呼び止めて聞いた。

「われわれのチケットは、フランクフルトで1時間の待ち合わせで、

次の便への乗り継ぎなのだが、予定の便には、乗れそうにない。」

「英語はわかりますか?」

「少しはわかる。」

すると、英語で説明し始めた。

「今日の午後の便に空きがあれば、乗れる。なければ、ホテルに泊まって、

明日の朝の便に乗ることになる、預けた荷物も一緒にです。」

そのスチュワーデスが、もういちど、機内販売のパンフレットを持って、回ってきたときに、

さきほどの話で、少し気になったことがあったので、

まず、「ドイツ語ではどうか?」

「ドイツ語? おー、わかります」

「それでは、もうひとつ質問がある。ホテルに泊まる場合だが、

こちらが自分で探さなければならないのか?」

「いえいえ、明日の便になる場合には、ルフトハンザが全部費用持ちで、

空港近くのホテルに泊まらせてくれます。が、おそらく午後の便に乗れるでしょう。」

という内容のことを、ぜんぜん癖のないドイツ語で、滔々と話した。

もしや、生っ粋のドイツ人か、とも思ったが、

同僚とは、早口のスペイン語でやりとりをしていた。

プライベートなことは聞かなかったので、どこの国の人かは、わからない。
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スパニェーアの軽食は、来るときのと同じ、ぶ厚いハムとチーズのサンドイッチだった。

便が遅れて、延々と待ち、腹もへったので、なおさらおいしく感じた。濃いコーヒィもうまい。

もうこうなったら、食べることだけだ。

昔、もう25年以上も前、知り合いのドイツ人と、

ドイツとオランダとスイスを旅行した。

行きも帰りも、南回り(シンガポール乗り換え)だった。

そして、帰りの便のときには、あれこれのことがあった。

まず、当時はリコンファームが普通だったが、手違いで、しそこなった。

チェックインの時に、ねばりに粘って、「コンファームの手続はきちんとした、」

と言い張った(嘘も方便、日本に帰れなかったら、たまったものではない)。

上役が出て来て、「少し待ってくれ」と言う。

30分後に、ようやく、というか、首尾よくというか、搭乗券をもらえた。

しかも、シンガポール成田間はファーストクラスだった(このことについては、

以前に、『ドイツ再訪』の項で、少し触れた)。

シンガポールで降りて、次の便を待っていると、いつまでも搭乗手続が始まらない。

そのうちアナウンスがあり、

「エンジントラブルで、今日はこの便は飛ばない、

ホテルヘ案内するから、そこで泊まって、明日の便に乗ってください、」

というようなことを言っている。

英語を聞き話す練習なんぞ、それまでいっぺんもしたことはなかったが(その後もないが)、

切羽詰まっているときは、本気で聞いているから、用件はなんとなくわかる。

その後、事由をタイプで打ったものが、乗客みんなに配られた。

提供してくれたホテルで一泊し、翌朝の便で日本へ向かった。

瓢箪から駒のファーストクラスで、

上等なワインと(文字どおり)血のしたたるビーフステイクに

(広々とした座席で)大いに満足したものだ。
(Continuará)           
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