'04年・フランス漫歩の巻
17.モンマルトルの丘
シャルル・ド・ゴール=エトワールで2号線に乗り換え、

オンヴェールで下車し、サクレ・クェール寺院を目指す。

いくぶん浅草やアメ横のような人出、そして雰囲気である。

ちょっかいをかけてくる物売りその他を振り切りながら、石段を登り、

寺院下で休憩をとる。
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ひと休み後、

モンマルトルの墓地まで歩いて行ってみようと、西側の土産物街を通ると、

ここには似顔絵書きがぞろぞろいて、誘いかけてくる。

でも、適当に曲がりながら、少しゆくと、

途端に人の数が少なくなり、閑静な住宅街に入った。

あたりは坂道や石段の道で、斜面にアパート類が建ち、樹木も多い。

ただ、道が入り組んでいるので、進む方向が怪しくなってきた。

地元のひとらしき、犬を引いた老人がいたので、聞くと、

「そこの先を左に曲がり、石段を降りきってから、

右へ行く(これが、小生の聞きまちがえか?じつは左へゆくべきだった)。

そして橋を渡る。」との由。

適格でわかりやすい説明だったのだが、

こちらのまちがいで、途中から逆方向に進んでしまい、

その後、三べんもひとに聞いて、少し大回りをして、やっと橋のところで出た。

橋の周りは木々が鬱蒼と生い茂っている。

橋を渡りながら、欄干の隙間から覗くと、下に(モンマルトルの)墓地が見えた。

下は川ではなく、橋は墓地を跨ぐように架けたものだった。

橋の向うのたもとに左手に、墓地へ降りてゆく階段があった。

なかはとても静かで、歩いているひとも、ごくわずかだった。

エミール・ゾラとスタンダールの墓の写真を撮った。
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墓地を出て南下してまもなく、ブルヴァール・ド・クリシィに出、

ム−ラン・ルージュのそばのブロンシュ駅から、6号線で、バルベス・ロッシュアール駅へ、

そこで4号線に乗り換え(北から南へとパリの)街を抜けて、ラスパイユで下車。

パリの地下鉄路線は、RERと入り乱れて、たてよこ斜めに何本も走っているので、

最初は、いったいどれに乗ればよいのか、ずいぶんまごついたが、

馴れるに従って、路線が多いのは、市内のどこへ行くにも利用できて、とても便利がよいこと、

終着駅名の表示も、電車の行き先が明瞭でわかりやすい、ということがわかった。
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今日は少しばかり上等のワイン (2.8 € ) にしたが、これがまたとりわけ味がよい。

今回のフランス旅行では、ずいぶんワイン(赤)を飲んだ。

乾燥ソシソンがまた、ワインを飲むときに欠かせない。

また、チーズも、これほどおいしいものだとは、これまで知らなかった。

どんな種類のものでも、それぞれに味わいがある。
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テレビのオリンピック中継で、エペの試合なるものを初めて見た。

フランス対イタリアの決勝の試合で、それこそ抜きつ抜かれつの大接戦だった。

エペ(剣、sword) というものは、見たところ、まさに斬り合いだ。

腹や手首をスパッと切ると、点数になる、と見えた。

ときに、すさまじい勢いで踏み込んで、首筋に斬りつける。

突っつき合いのフレーレ (fleuret) とはぜんぜん違う。迫力がある。

試合は、見ての判断だが、1チーム3人の選手が交代に、

それぞれが毎回、おそらく相手を変え、3度? ほど試合をするもののようだった。

そして互いの得点(ポイント)が、刻々、加算されてゆき、

最後の選手の試合が終わった時点での両チームの合計点で勝敗が決まる。

この緊迫した決勝戦は、最後の最後まで、その勝敗の行方がわからなかった。

フランスチームの監督は、最後の選手の試合の半ばから、もう目を閉じて下を向いていた。

フランスがイタリアに、少し負けていた。

フランスの最後の選手が(この選手は、前日の試合で、

右手の人指し指と中指のあいだを、相手の剣で切られて、血を流していた)、

まさに終了まぎわ、立て続けに点を挙げ、ついに逆転する。

フランスが45点、イタリアが42点で、試合終了となった。

この最終の選手は、勝利を確認し、面覆いを取って、小躍りする。
テレビは、監督の表情を映し出すが、

監督は、まだ目をつぶったままだ。

すると、目を開けた。

事態に気がついた禿げ頭で小柄な監督は、跳び上がった。

何べんも跳び上がって、喜んでいた。
from: le Figaro, le vendredi 20 août 2004
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