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17.モンマルトルの丘
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シャルル・ド・ゴール=エトワールで2号線に乗り換え、
オンヴェールで下車し、サクレ・クェール寺院を目指す。
いくぶん浅草やアメ横のような人出、そして雰囲気である。
ちょっかいをかけてくる物売りその他を振り切りながら、石段を登り、
寺院下で休憩をとる。
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ひと休み後、
モンマルトルの墓地まで歩いて行ってみようと、西側の土産物街を通ると、
ここには似顔絵書きがぞろぞろいて、誘いかけてくる。
でも、適当に曲がりながら、少しゆくと、
途端に人の数が少なくなり、閑静な住宅街に入った。
あたりは坂道や石段の道で、斜面にアパート類が建ち、樹木も多い。
ただ、道が入り組んでいるので、進む方向が怪しくなってきた。
地元のひとらしき、犬を引いた老人がいたので、聞くと、
「そこの先を左に曲がり、石段を降りきってから、
右へ行く(これが、小生の聞きまちがえか?じつは左へゆくべきだった)。
そして橋を渡る。」との由。
適格でわかりやすい説明だったのだが、
こちらのまちがいで、途中から逆方向に進んでしまい、
その後、三べんもひとに聞いて、少し大回りをして、やっと橋のところで出た。
橋の周りは木々が鬱蒼と生い茂っている。
橋を渡りながら、欄干の隙間から覗くと、下に(モンマルトルの)墓地が見えた。
下は川ではなく、橋は墓地を跨ぐように架けたものだった。
橋の向うのたもとに左手に、墓地へ降りてゆく階段があった。
なかはとても静かで、歩いているひとも、ごくわずかだった。
エミール・ゾラとスタンダールの墓の写真を撮った。
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墓地を出て南下してまもなく、ブルヴァール・ド・クリシィに出、
ム−ラン・ルージュのそばのブロンシュ駅から、6号線で、バルベス・ロッシュアール駅へ、
そこで4号線に乗り換え(北から南へとパリの)街を抜けて、ラスパイユで下車。
パリの地下鉄路線は、RERと入り乱れて、たてよこ斜めに何本も走っているので、
最初は、いったいどれに乗ればよいのか、ずいぶんまごついたが、
馴れるに従って、路線が多いのは、市内のどこへ行くにも利用できて、とても便利がよいこと、
終着駅名の表示も、電車の行き先が明瞭でわかりやすい、ということがわかった。
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今日は少しばかり上等のワイン (2.8 € ) にしたが、これがまたとりわけ味がよい。
今回のフランス旅行では、ずいぶんワイン(赤)を飲んだ。
乾燥ソシソンがまた、ワインを飲むときに欠かせない。
また、チーズも、これほどおいしいものだとは、これまで知らなかった。
どんな種類のものでも、それぞれに味わいがある。
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テレビのオリンピック中継で、エペの試合なるものを初めて見た。
フランス対イタリアの決勝の試合で、それこそ抜きつ抜かれつの大接戦だった。
エペ(剣、sword) というものは、見たところ、まさに斬り合いだ。
腹や手首をスパッと切ると、点数になる、と見えた。
ときに、すさまじい勢いで踏み込んで、首筋に斬りつける。
突っつき合いのフレーレ (fleuret) とはぜんぜん違う。迫力がある。
試合は、見ての判断だが、1チーム3人の選手が交代に、
それぞれが毎回、おそらく相手を変え、3度? ほど試合をするもののようだった。
そして互いの得点(ポイント)が、刻々、加算されてゆき、
最後の選手の試合が終わった時点での両チームの合計点で勝敗が決まる。
この緊迫した決勝戦は、最後の最後まで、その勝敗の行方がわからなかった。
フランスチームの監督は、最後の選手の試合の半ばから、もう目を閉じて下を向いていた。
フランスがイタリアに、少し負けていた。
フランスの最後の選手が(この選手は、前日の試合で、
右手の人指し指と中指のあいだを、相手の剣で切られて、血を流していた)、
まさに終了まぎわ、立て続けに点を挙げ、ついに逆転する。
フランスが45点、イタリアが42点で、試合終了となった。
この最終の選手は、勝利を確認し、面覆いを取って、小躍りする。
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テレビは、監督の表情を映し出すが、
監督は、まだ目をつぶったままだ。
すると、目を開けた。
事態に気がついた禿げ頭で小柄な監督は、跳び上がった。
何べんも跳び上がって、喜んでいた。
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from: le Figaro, le vendredi 20 août 2004
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