'04年・フランス漫歩の巻
00-1.旅行の手はず
今を去る30年ほど前に、
同僚のフランス語の教師である澁澤さんの授業を、2年間、受けさせてもらった。
2年のあいだ、まじめに受講し、勉強もひととおりはしたつもりなのだが、
いかんせん、学生の立場とは異なり、やはり厳しさに欠けるところがあったと思う。
従って、フランス語の知識に関していえば、実体は、落第生であった。
そのままずっと、フランス語の勉学をなおざりにしてきた。
まさに「少年(青年か)老い易く学成り難し」を地で行った次第。
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今回、フランスへ行くに際し、気を新たにして、
かつて取り組んで、挫折した語学に、ふたたび挑戦はしてみた。
しかし、挑戦してみたものの、依然として、文法、発音、綴り字に四苦八苦し、
何だか、ぜんぜん進歩する気配がない。
でもまあ、語学は、悲観をしたらアウト、百害あって一利なし。
楽天主義でゆくのが一番。ダメでもともと。
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気分を転換して、旅行のおおよそのルートや日程を決めることにした。
ルートは、最初、まずパリからストラスブールへ(350km)行き、
そこから下って、リヨンへ(350km)、というふうなことを考えた。
しかし、トーマス・クックのヨーロッパ時刻表を見たり、
la SNCF(エスエヌセーエフ:la Société Nationale des Chemins de Fer Français
フランス国有鉄道)のホームページ <http://www.sncf.com/index.html> で、
発着時間を調べてみたら、
パリからストラスブールまでは4時間弱もかかる。
それどころか、ストラスブールからリヨンヘ鉄道で移動するのは、もっと大ごとで、
乗り換える必要もあって、それほどの距離でもないのに、5時間以上を要する。
そういうことがわかり、ストラスブール行きは、断念した。
移動の際に列車に乗っている時間も、3時間を限度にして、
プリントアウトした発着時間の表を参考にし、
けっきょく、単純に右回り、つまり、パリからリヨン、
次いでマルセイユ、モンペリエ、トゥルーズ、ボルドーと回って、パリへ戻る、ことにした。
パリとリヨンの間は約400km あるが、TGVに乗れば、2時間で着く。
ボルドーからパリは約500km で、TGVで3時間。
しかし、フランスの南部を横に移動する場合は、マルセイユからモンペリエは150km で2時間、
モンペリエからトゥルーズもほぼ同じ距離、同じ所要時間であった。
こうして、コースと日程の計画は、だいたい立った。
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もう6月も末近くである。
そろそろ宿の方の手配をしなければならないのだが、それに取り組む気力が、余り起きてこない。
でも、もうタイムリミットだ。放っておくわけにはゆかない。
意を決して、ガイドブックやインターネットを利用し、泊まる予定の町の宿探しを始めた。
なるべくSNCFの駅か、あるいは町なかでも地下鉄の駅から近いところ、
そして小規模なホテルを、少なくとも二つ星、できれば三つ星のところで、適当に選んでみた。
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小生は、早起き症ゆえ、毎朝、5時には起きる。じつは、午前3時にはもう目が覚めている。
ある日、6月の30日だが、
起きるとすぐに、メールとファックスのための文章の作成に取りかかった。
午前中いっぱい、従って、合計で5、6時間もかかって、
宿泊の申し込みの文章の雛形、それとコンファームの文面の雛形をも、非力な語学力ゆえ苦労して、仕上げた。
そして、その日の昼ごろに、各々のホテル宛に、メールを1通、ファックスを6通、送ってみた。
すると早速、この日の夕方から、翌7月1日の朝にかけて、ぞくぞくと返事が来た。
返事が来ないホテルは1か所だけだった。
そこは URL もあるところなので、インターネットで検索してみた、が、つながらない。
少し怪しい。すぐにキャンセルにし(これにも応答はなかった)、他のホテルに当たってみた。
すると、その新たに送ったところは、即座に、快諾の返事をよこした。
というわけで、予約を申し込みを始めて、その二日後には、全部のホテルの予約が取れた。
à suivre)