'03年・イタリア徘徊の巻
7-2.ボローニャからミラーノへ(2)
ミラーノ中央駅の出口から東へ向かい、バス停にいた中年夫婦に道(Via Doria)を聞く。
「向うの信号を右斜めに。」
信号のすぐ手前に、駐車場の係のオジサンがいた。もういちど聞く。
「ドーリア通りを通って、ロレート広場の方向へ行きたい。」
「どの住所を目指しているのか。」
ホテルの通り名を言うと、
「それなら、もうひとつ次の信号で右に曲がり、(あとは)まっすぐに行くとよい。

しかし歩いてゆくのか ? Via Lombardia までは、20分かかる。」
ミラーノの中心部の詳しい地図は持っていたが、市全体の地図は大まかなものしか持っていない。
泊まる予定のホテルは駅のずっと東で、町の周辺部に位置している。
それゆえ、この大都市で、大雑把な地図を頼りに小さなホテルに辿り着くのは、

いささか厄介なことになるかもしれない、とは予め想像していた。
じっさいに、歩いてみると、手元の地図には載っていない道路がかなりある。
が、ともかく、方位は合っているので、さきほど教えられた通りに、歩いてゆく。
7、8分ほど歩くと、Loreto に出た。
新しい町に着いたら、まずは宿まで歩いてみる(そうすると町なかの雰囲気がよくわかる)、

のを常としてきたが、この暑さでは、もう限界だ。
さきほど、中央駅の地下鉄駅の窓口で、

Abbonamento Due Giorni (ABBONAMETO BIGIORNALIERO URBANO) という

ヴァリディション後(検札器に入れてから)48時間有効の自由切符を買っておいた。
向うには、地下鉄のマークも見える。
階段を降り、改札口のところで、駅員に聞く。
その駅員は、「Metropolitana 2Gobba 行きに乗れ、Piola まではひと駅だ」
と言って、親切にも、紙にメモ書きまでしてくれる。
この駅には、地下鉄1号線と2号線が乗り入れているが、

乗り場も、よく分かるように、教えてくれる。
〜〜〜〜
ピオーラ駅で降りて、地上に出ると、広場らしき、木立に囲まれた場所が見えたので、

ピオーラ広場のはずと、そこまで歩く。
そのピオーラ広場は、真ん中がちょっとした公園になっているロータリー型の交差点で、
そこから道が7ないし8方向へ伸びている。
こちらはそこから北へ走る通りへ行きたい。
コンパスだけで判断するのは、心もとない。
通りがかりの老人に聞いて、確かめてから歩き出した。
手元の雑な(案内書の)地図にあったホテルの位置表示もまた、

いまひとつ信用のおけない感じがしていた。
案の定、その近辺まで来ても、まわりには、ホテルの気配がぜんぜんない。
と、あるビルの入口に、シャツ姿で通りを眺めているひとが見えた。
この土地のひとと思い、声をかけ、ホテル名とその住所を言って、所在を尋ねた。

すると、たちどころに
「この先の信号の少し向こうで、左側だ」
地図の表示とはだいぶ(数百メートルは)ずれている。
しかも道の反対側だ(地図の表示は右側)。
ともかくも、なんとか無事に辿りついた。
〜〜〜〜
フロントには初老の男性がいた。
電話を肩に挟み、話をしながらコンピュータを打っている。
声はかけずに、待っていると、(用向きを、と)目で促す。
名前と、日本から来たこと、ふた晩の予約をしてあること、を告げ、パスポートを提示する。
肩の電話で、ときどき話しながら、こんどはこちらのデータを打ち込んでいる。
器用な男だ。
部屋は、2階(primo piano)の24号室で、広さは8畳間ぐらいか。
今までに泊まったホテルに比べると、いささか狭い。
それでも、ヴェランダ付きで、椅子とテーブルが置いてあった。
もちろん、日中はとても出る気にはならなかったが。
予想外のことだが、この安ホテルにも、エアコンが付いていた。
ここは、トリプルで、一泊110ユーロだった。今回の旅行では、一番安い。
〜〜〜〜
フロントの男は、「町へ行くには、このロバルディア通りを北へ、

最初の信号を左へ、あとはまっすぐ行くとロレート。リーネア1に乗ればよい。」
こちらの手元の地図を見て、

「それは簡単すぎる」と、

詳しい地図をくれる。

これは助かる。

貰った地図に載っていたピオーラ広場の八叉路
from: Click Up Advertising - Lavena Ponte Tresa (VA)
教えられた通りのコースで、ドゥオーモへ行ってみる。
ドゥオーモは、修復中であった。
そのまわりを、ひと回りし、ガレリアをぶらつき、スカーラ座(Teatro alla Scala)を

眺めてから、
百貨店ラ・リナシェンテの中に入り、店内をざっとひと巡りする。
これで「きょうはおしまい」にする。
リーネア・トレ(地下鉄3号線)に乗って中央駅に行き、駅構内のスーパー

(スーペル・チェントラーレ)に入る。
ピッツァ、リゾット、サラミ、ナスのグリル焼き、トマト、リンゴ、500cc の缶ビールを6本、

淡い葡萄色の帯封に認可番号のついたキャンティ・クラッシコを購入した。
bottiglia di vino(ワインのボトル)の帯封には、番号と銘柄、

そしてその下に「原産地の名称 / 検査かつ保証済み」と印字してある:
それで、この帯封がイタリアのよい品質のヴィーノを示す目印、と思っている。
そのうち何かで調べて、確かめておかなければいけないが。
〜〜〜〜
町歩きは、今回の旅では、いつも、午後1時半か2時までで、切り上げて、3時には

ホテルに戻った。
自習書には、"noi romani preferiamo fare la siesta dopo paranzo, . . ."

(「われわれロ−マ人は、昼食の後は昼寝を好む、)といった文章があった。
ここはローマではなく、北部(Italia settenzionale)だが、この暑さは尋常ではない。
無理は禁物。
「午後はシエスタ」というのは、大いに頷ける話だ。
こちらの行動パターンは、「ロ−マ人の昼寝」どころではない。遥かに、それ以上である。
連日、午後6時から朝の6時まで、12時間も寝ている。
「まったくの寝過ぎ」というのは百も承知だが、
じゅうぶん以上の休息のおかげで、毎日、あさ起きれば、もう快調そのもの、であった。
〜〜〜〜
スーパーの入口の手前の総菜屋でパニ−ノ・ヴェジェタリアーノ

(挟んであるのは野菜だけ、のパン)というのを焼いてもらう。
小銭を掻き集め、代金きっかりを渡したら、

そこのオバサン、迷惑がるどころか、大袈裟に「ブラヴィッシモ!」
〜〜〜〜
夜中に、隣室や上の階から、シャワーの音や足音が聞こえる。
ここは「星二つ」ゆえ、やむを得ない。
今回はイタリアということで (?)、少しだけだが、ランクを上げた。
ただし、インターナショナルな、つまりは無国籍のタイプの大型ホテルは、

性に合わないので、避けた。
このミラノのホテルの他は、「星三つ」のホテルを予約した。
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