'03年・イタリア徘徊の巻
1.L'arrivo a Roma
8月6日、午前10時少し前、成田の第1ターミナルにあるアリターリア航空のカウンタで、
いつものように、荷物を機内に持ち込む旨を述べると、
それがために、縦横高さの合計を115センチ以内のバッグにしているのだが、
「機内持ち込みは5キログラムまでとなっている。

三つのバッグのうちのひとつは、ほぼ5キログラムだから、持ち込んでもよいが、

他の二つは、7キロと9キロだから、重量オーバーである、

従って預けなければならない」との由。
生真面目を絵に書いたような顔をして、表情ひとつ崩さない。
こういうひとは手ごわい。
「5キロ以内なんぞ、これまでに聞いたことがない、これまではいつでも機内に持ち込めた」
と言ってみても、
「これは以前からの規則だから」と、譲る気配は露ほどもない。
〜〜〜〜
ところが、そのあと、搭乗者用のラウンジに入って、驚いた。
イタリア人らしき乗客の大半が、

こちらの預けた荷物以上の大きなバッグやトランクを引きずっているではないか。
まったく解せない話だ。
が、今さら、どうしようもない。
チェックインのときに、たまたま、あのカウンタのあの女に出会ってしまったのが不運と、

諦めざるを得ない。
〜〜〜〜
乗ったアリターリアの飛行機は、ジャンボに比べて、遥かに小振りで、
一瞬、これでイタリアまで行けるのか、と思った。
が、落ち着いてみれば、座席の前後、両脇が、思いのほかに余裕があり、
座りごごちは悪くない。
そして、何よりもかによりも、機内の食事がとてもよかった。
ペンネとかいうパスタの一種、
厚切りの子牛の肉をズッキーニとキノコと共に煮込んだもの、
ダイコンの千切りのような食感の生野菜。
これほど楽しみに食べた機内食は、これまでで始めてのこと。
缶ビールはフランスもので、これの味は並。
が、濃い赤のイタリアワインは悪くない。けっこういける。
手荷物の件の腹立ちは、もうすっかり消えてしまった。
帳消しにしても、余りがあるほど。
〜〜〜〜
機内乗務員の応対は、サービス過剰でないところが、かえって新鮮に思えた。
少し練習をしてみるか、とイタリア語を試みるも、なかなか言葉になって出てこない。
それでも、その訥々のことばに耳を傾けてくれる。
いつものごとき、ビ−ル呑みの我々には必要語彙「缶ビール」は、lattina di birra

ということを教わった。
〜〜〜〜
機内のテレビで、イタリア語に吹き替えたアメリカ映画を2本、イタリアの映画を1本を、

通しで、観た。
が、いかんせん、さっぱり分からない。
たまさか、単語がほんの断片的に聞き取れただけ。
まったく暗澹とした思いにとらわれたが、いまさら引き返せない。
〜〜〜〜
フューミチーノ空港で、荷物がコンベアの上に出て来るのを待っている間、
年輩の修道女が、脇を通り過ぎた。
思い付いて、「スクージ!」と声をかけるも、聞こえない。
大きな声で「シニョーラ!」と叫んだら、振り向いてくれた。
ローマ行きの電車の駅の方向を聞くと、
「あそこのウシータ(出口)をシニストラ(左)へ」。
預けた荷物は20分とかからずに出てきた。
シニョーラに言われた通りゆくと、エレヴェータがあり、側に係官らしきひとがいる。
もういちど空港駅のことを聞く。
「セコンドピアーノ」
「ここはテラか」
「そうだ」
上を指差して、
「プリーモ、セコンド」
この二回の、ほとんど単語だけの、やりとりでも、
気分的には、何となく慣れた。
〜〜〜〜
空港の3階(secondo piano) まで上がり、通路を直進すると、
すぐに、ローマ行きのエクスプレスの切符売場とプラットフォームが見えた。
乗った車輛の中は、蒸し風呂の状態。
車掌らしき人が来て、言うには、この車輛のエアコンディショナーが壊れているとのこと。
乗客は、ぞろぞろと、前の車輛へ移る。
車窓には、牧歌的な田園風景が続く。
テルミニが近くなってくると、
アパートらしき、石造りの建物、そして日除けのブラインドが目に付く。
〜〜〜〜
エクスプレスはテルミニ駅の27番ホームに着いたが、そこから出口までが長い。
延々と歩かされる。
構内に売店があったので、炭酸なしのミネラルウォータ(1ユーロ)を1本買い求める。
売店のおばあさん、1ユーロ(「ウンネウロ」)を「オネーロ」と発音していた。
別の売店で、さっそく、機内で教わったばかりの「ラッティーナ・ディ・ビラ」を使って、

缶ビールも2本買う。
〜〜〜〜
メールに書いてあったとおり、

終着駅のプラットフォームを背にして、右のマルサーラ通りに出るが、

バスやその他の車が、道の両端に、バスは斜めに、その他の車は縦列に、

隙間なく停まっている。

荷物を引っ張って歩くのに、難儀する。
道がわからないときは、聞くのが手っ取り早い。

「ヴィチェンツァ通りはどの道か」と、

工事のひとや、その辺にたむろしているバスの運転手らしきひとに

聞きながら、歩くが、

みな土地(ローマ)のひとというわけではなさそうで、

余り詳しくはなく、

説明がいまひとつはっきりしない。

The city map above:
from "Baedekers Allianz-Reiseführer, Rom."
Karl Baedeker GmbH 1988
それで、おおよその見当を付けて右に曲がり、
そのやや広い通り沿いにしばらく歩き、途中で出会った女性に聞いた。
「ここはソルフェリーノ通り、インディペンデンツァ広場がそこだから」
と、後ろを振り向いて、ちょっとした緑地帯を示した。
たしかに言われたとおりで、入る通りを1本、まちがえていた。
ほどなく、目指すホテルが見つかり、壁のボタンを押す。
ブザーが鳴り、鳴っている間に、鉄製の格子戸状の戸を押して入る。
受け付けは5階、と表示してある。
カウンタの女性に、カギ三つの束を渡される。
そのひとつを示して、これはエレットリチタの鍵と言うので、
意味がよく分からず、聞き返すと、
その鍵を押し込むと、室内の電気が使えるということだった。
部屋代はいつ支払うか、というので、ここを出発する前日に、と言ったら、
「クレジットカードをこちらに預けてください」
カードは他人に渡したくないので、現金で前払いにした。
このホテルの支払いは、カードの場合は一泊149ユーロだが、現金のときは139ユーロ、

と割り引きになっていた。
〜〜〜〜
シャワーを浴びて、シャツ姿で、くつろいでいると、電話が鳴った。
フロントからの電話で、「さきほど、40ユーロのおつりを渡したかどうか」と言う。
ローマに着いたばかりで、ぼんやりしていたのか、さっぱり気が付かないでいた。
言われて見れば、4日分の部屋代(556ユーロ)として、100ユーロ紙幣を6枚渡したが、

おつりは、小銭(4ユーロ)しか貰っていない。
これから出向いてゆく旨を伝え、
着替えをし、階段を上がり、10ユーロ紙幣を4枚、受け取って来る。
正直なフロントだ。
〜〜〜〜
部屋は4階、まずまずの広さで、造りはしっかりしている。
上と下の部屋の足音は聞こえてこない。
床や壁は大理石のようだ。床の石の、その冷たさが心地よい。
窓は二重ガラスで、その外側に観音開きの鉄製の鎧戸が付いている。
エアコンも付いている。
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