'01年・ドイツ再訪の巻 |
13.リューベックのマルツィパンなど
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朝食は6時半からだったが、6時40分に食堂へ行ったら、すでに大勢いた。 |
7時15分、食べ終えて、フロントの前を通ると、もう出掛けるひとが何人かいた。 |
ベルリンでは8時からの食事に、他にはひとがいなかったが。 |
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8時前に、ハンブルク中央駅の旅行センタで、切符を購入する。 |
レイル・パスの使用日数の残りが、あと2日なので、明日と明後日のために取っておいた。 |
窓口で、「リューベックまで往復。大人3枚。」 |
「きょう戻るのか。」 |
「そうだ。」 |
「週末旅行切符(Wochenendticket)のグループ用が安い。40マルクです。」 |
「それはありがたい。」 |
通常は、片道大人1枚が17DMだから、半額以下、60%引きというところだ。 |
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リューベック経由トラーヴェミュンデ・シュトランド行き (8.05発 RE 35222) は7番線と表示してあった。 |
しかし、該当するホームに行くも、7番線にはキール行きのRE(快速)が停まっている。 |
8番線の列車も別な方面行きで、だいいち、人がいない。 |
もういちど階段をのぼり、発車時刻表で確かめる。 |
よく見たら、8.18 発 RE 35038 、キール中央駅行き(これはリューベックを経由しない)は、番線が 7a 、とあった。 |
リューベック経由トラーヴェミュンデ行きは、7b ということだった。 |
この2列車の進行方向は互いに逆で、7番線のBの位置に目的の RE が停まっていた。 |
こういうことで、手間を取らせられるから、早めに来ざるをえない。 |
わかれば、どうってことはないのだが、知らないうちはまごつく。 |
席はだいぶ埋まっていたが、先頭近くの車輛まで行くと、例によって、けっこう空いていた。 |
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発車してすぐ、通路の前の方から、それとわかる若い者が、あたりを探るような目つきで、歩いてきた。 |
空いていた脇の席にさっと座ると、 |
「週末旅行切符は持っているか?」 |
「持っている。」 |
左手に何か番号と区間をタイプで打ったような紙片を持ち、どういうわけか、それをちらつかせながら、 |
「その週末切符を見せてくれないか。」 |
「ナイン。」 |
「ちょっと調べているだけだ。」 |
「ナイン。」 |
ようやく諦めて、去った。 |
このようなルートからダフ屋へチケットが回るのか? |
あるいは無賃乗車で、グループチケットの仲間に入れてもらいたいのか? |
詮索しなかったから、わからない。 |
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Bad Oldesloe という駅名が見えた。 |
ひとつ前のボックスの地元(のひとと思える)年寄りに読み方を聞いてみた。 |
「バート・オルデスローだ。」 |
「レーではないのか。」 |
「頭の中ではレーだが、発音はローだ」という説明だった。 |
語尾が英語風だ。 |
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リューベックでは、有名なリューベッカー・マルツィパンを買った。 |
店員の話では、赤い包みのものがオリジナルで、1806年以来のものだそうだ。 |
トーマス・マンも、幼少のときに口にしたのではなかろうか。 |
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リューベック発12時5分の快速でハンブルクに戻る。 |
リューベックの駅では、 |
駅員が、(おそらく)駅備え付けの専用のリフト(車)に、肢体の不自由なひとを車椅子ごと載せると、 |
車椅子用の設備のある車輛の入り口の、両開きの扉の間にある仕切り棒を撥ね上げ、 |
リフトの高さを調節して、車内の床の高さに合せた。 |
車椅子の人は楽に車輛内へ入った。 |
からだの不自由な人への配慮は万全と見えた。 |
この車輛の、通路もトイレの入り口もトイレの中も、車椅子のままで、楽々動けるほどに広い。 |
各列車には、自転車旅行の連中が、自転車を、自分でゆうゆう乗せたり降ろしたりできるように設えた車輌もけっこう付いてるから、 |
このようなことも、さほど特別な配慮というつもりではないのかもしれない。 |
身障者用の設備の構造も、基本的には、自転車持ち込み乗客のための車輌設備とよく似ている。 |
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RE 35205 は。ハンブルク駅の手前で急停車した。 |
何人かの子供たちが線路上で遊んでいたため停車した、という車内放送だった。 |
5分後に発車したが、停まっているとき下の線路を見たら、枕木がまだ文字どおり木だった。 |
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