'14年・北フランス行メモ >>
18-1.<< 08/16(土)ナント→レンヌ←→ヴァンヌ >>
23℃、晴れ

6時半に朝食。じゅうぶんに時間があるゆえ、ゆっくりと味わう。

08:20TER 58491でレンヌへ。乗車時間は1時間14分。

9時半には次ぎのホテルへ。しかし玄関のドアが開かない。

(適当に)Pのボタンを押して、少し待っていたら、開けてくれた。

チェックインは15時とのこと。荷を預け、駅へ。

駅の窓口で「今日これからサン・マロ(St-Malo)まで行って戻ってきたい」と言うと

TGVの利用となるが、いまからでは座席の予約は難しい」

―「それでは、それは止める。ヴァンヌ(Vannes)はどうか? 3時ごろにはここに戻ってきたい」

と、幸い、往きが11:30、帰りが14:45と丁度よいのがあった。

しかもTERで直通(乗り換えなし)。発着時間をプリントアウトしてもらう。

乗車までまだ1時間余り間があるので、この界隈の西と東にあるCarrefourを確認しに出かける。

東の店の方がよさそうだった。


往きの1等は快適、空いてもいた。

ヴァンヌの駅の窓口で、試しに、町の地図のことを当たってみた(この町のインフォは遠いので)。

若い(女性の)駅員が「捜してくる」と言って、少しあとに、奥から持ってきてくれた。

(それが右に載せた地図  )

駅を出て、オリヴィエ・ド・クリソン通り

(Rue Olivier de Clissons)を南(南南西)へ、

ついでフォンテ-ヌ通りを南へ。

プリゾン門(Porte Prison)、カテドラ-ル、

モネ通り(Rue de la Monnaie) の先は市場、

出店でごった返している。

歩いて通るのもままならない。

屋根つきマルシェ(Marche Couvert)の脇、

またもや門

(サン・ヴァンソン門:Porte St Vincent)

抜けると広場(Place Gambetta)

その先に運河?、いやヨットハーバーか。

その右手かなたにインフォメーション。

地図をもらう。

が、ここのはイラスト入りの

デフォルメされたチャチな地図。

帰ることにする。

来た道を戻るが、えらい人出で、難儀をする。

道を間違えぬよう、途中で二度、ひとに聞いた。

de V ANNES Golf du Morbihan, www.marie-vannes.fr

帰りのTERはあいにく満杯。2等はかなりの人が立っている。

1等車も席はひとつも空いていない。(混んでいるとき車掌は決して?検札には来ない。

みんな、そのことをわかっている、間違いなく。)

通路に立っていると、オジさん(同年輩)が手もたれを指して「ここに掛けろ」

―「大丈夫、ノンプロブレム、東京ではいつもこうだ」。

次の駅でオバさん、サッサッと入ってきて奥の席まで進み、

そこに坐っている若者に何か言い、除けさせて、坐る。こちらにも声を掛けてくれる。

「来て座れ」という意味だろう。「ご心配なく」と言っておく。

家内は他の人に席を譲ってもらった

(そこには子供が坐っていたのだが、その親が2等車の方へ移させた、ようだ)。

こちらは立ったまま、かのオジさんに話しかけ

「コカコーラに勤めていたこと、日本に数日、フィリピンには数週間滞在したことがある。

いまはリタイアした。カンペールでバト(bateau ヨットか?)をやってきた。それが趣味だ。

自分はブルトンで、この地ブルターニュが好きだ。サヨナラはケナボーと言う」

そんなことをあれこれ話して(半分も理解できなかったが)いるうちにレンヌに着いた。



Carrefour marketに立ち寄り、肩ロース400g弱とロックフォール160g、ソシソンセックなどを買った。

ビールは6本。前はしばらく1664にしていたのだが、

最近、同じストラスブール産の

クローネンブール(Kronenbourg)

安くてうまいことに気がついた。



ホテルへ帰ると、またもや玄関ドアに鍵が掛かっていて入れない。

ゴンゴンゴンゴンと強めにノックをし、根気よく数回くりかえした。

やっとオバさんが出てきて、開けてくれたが、のっけから

「予約はしたのか?暗証番号を知らないのか?」ときた。

こちらも少々腹が立ち「今朝の9時に着いた。荷を預けた。

15時がチェックインとのことゆえ、いままで待ったのだ。

マドモアゼルは我々にカギをくれないし、番号も教えてくれない。」

とたんに愛想がよくなり、いそいそとカギを渡してくれて、

暗証番号も教えてくれた。

今日の夕食は肉とチーズ、

かなりの量だが、とてもうまい。


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