'11年・北イタリア散策 >>
18-1.<< 8/19(金)アレッツォからペルージャ(Perugia) >>
35℃。朝7時半、食堂へ行くと、自動販売機のほかは何もない。

脇のベランダにおジイさんがいる。昨日も見かけたから、ここの人かと思い、聞いてみた。

「7時半に朝食と言ってある。何もないが、どうすればよいのか」

ケータイでどこかに掛けて「女の子(ラガッツァ)がもう少しあとに用意をしに来る」

15分ほどたって、娘さんがやってきた。

「食べ始めてよいのか?」―「5分待ってください」

そして出てきたものはパン、ミューズリとジャムだけ、いや、(自動の)カップチーノと

ジュースはあったが。ここは長とう留のひとが主のようだ。

食堂内の冷蔵庫からブドウを取り出し、それが朝食の若者、そして初老の婦人、

ひとり者か? いささか怪しげ。
〜〜〜〜
9:15 のレジョナーレで、10時にペルージャ。ホテルは目の前。

「とても早く着いたが . . . 」と言うと、「部屋はもう入ってよい」とのこと。28 号室。

スーパーメルカートのことを尋ねる。(指さして)道路を挟んで向かいに

Coop
(ここにも)がある由。

部屋は4人用のスウィート。旧市街への道順を尋ね、ついでに、部屋のことを確認すると

「その広い部屋を使ってよい」―「料金は 70€ でか?」―「そうです」

道は途中少し迂回するが、北東へほぼ一直線ということだった。

迂回の所で車をいじっていた兄チャン、念のために、と思って聞いたら、

「迂回する必要はない。そこの細い階段をまっすぐ登って、道路を横切り、

そのままサリーダをずっと行け ! 」―「サリーダ ? 」―「そうだサリーダだ !!

言われた通り車道を横切ると、一直線の登り坂がつづいている、これのことと合点。

つきあたりに城壁があり、旧市街への石畳みのカーブした道に入る。

これが入り組んでいて、左右に分岐し、あるいは合流する。が、構わず、

ともかく上へ上へと行くと広場に出た。

dalla: "Perugia Map 2010"; Comune di Perugia Turismo
テラス席で飲んでいたジイさんに聞くと「イタリア広場だ」とのこと、景色がよい。

11
月広場への方向を聞く。

11月広場のカッテドラーレとパラッツォ・デイ・プリオーリは堂々たるもの。

もう少しあたりを歩いてから、帰路につく。


同じコースを戻ろうと、来たとき見かけた家や庭などを目安に、石畳みの坂を、

右や左に折れながら降りたのだが、出口の手前でまちがえたようだ。

城壁の外の車道には出たのだが、場所が少し違う。

脇の歩道で、二度、オバさん方に駅への方向を尋ねた。

ひとりはこのつづら折りの「9月20日通りをゆけば最後には駅へ出る」とか

(蛇行する車道を延々と下るなんてことはしていられない)、

次のオバさん(ふたり連れ)は、右のかなたの方向を指差して

「向うの信号を左へ下るか、あるいは」と、反対の方向を向いて、

「(遠くに緑地が見える)あの公園を横切ってから下る」

立っているところから下を覗くと、この車道の下を横切る歩行者用のトンネルがあり、

その先は細い道が下っている。

オバさんに「すぐ下の小道を行くのはどうだろうか?」と言ってみたが、
「わからない」という返事。

ま、ひまはある、ほぼまっすぐ下っている道ゆえ、方向としてはよろしい。

ずんずん降りてゆくと、15、6分で、急に何か広いところに出た。

バイクからオジさんが降りたので、駅の方向を聞く。「この道路の突きあたり、向うに見える」。

これにはたまげた、が、よかった、それと知らずに朝の出がけに歩いた大通りに出ていた。
〜〜〜〜
コープに立ち寄り、惣菜売場のオジさんに説明してもらい、

いろいろなもの4種類を包んでもらった。リゾのサラダ、ナスにチーズをのせて焼いたもの、

トマトのなかに香辛料とパルメジャーノらしき固いチーズを砕いたものを混ぜて

詰め込んだもの、タッキーノ(七面鳥だった)の肉とやらを2枚。


少し買いすぎたかと思ったが、ふたりでペロリと平らげた。

かのサン・マリーノの赤ワインも空けてしもた。

残りのボトルはポッジボンシのキァンティ・クラッシコ。

ローマでの最後の日までこれはもたせよう。

続き部屋にはエアコンが2台、冷蔵庫付き、じつに静かな環境、快適だ。

きのうは寝た空がなかった。きょうは安眠できそう。
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