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13-1.<< 8/14(日) パードヴァ → ラヴェンナ(Ravenna) >>
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朝7時半に食堂へ。こちらが食事を始めてまもなく、
すぐ後ろのテーブルに4人組のお年寄りのドイツ人が坐った。
少し経って、ハムとチーズのお代りをもらおうとしたが、
ケースには一枚も残っていない。
係に言うと「すぐ用意をします」ところが、5分経っても何の気配もない。
もう一度「すぐ持ってきてくれませんか」ー「はい、すぐに」。
と、器械の音がする。いま切っているようだ。
こちらの皿はもう空っぽ。食べる気も失せてきた。さらに5分すぎてから、
やっと持ってくる。ハムとチーズを一枚ずつもらい、さっと食べ、席を立つ。
宿泊料を払い、部屋に戻り、10分後、目と鼻の先のパードヴァ駅へ。
レジョナーレ・ヴェローチェ(快速)は空いていた。
フェルラーラで1時間待ち、リーミニ方面行きのレジョナーレに乗り換える。
こちらは満杯。辛うじて座れた。
ラヴェンナに着いた。構内に巡査が二人。
「インフォメーションは近くにありますか」―「何を求めているのか」
「市街図がほしい」―「あとに付いて来てくれ」と言うのでホームに出る。
「ここで待っていてくれ」
ホームのずっと端まで行って、地図を片手に、戻ってくる。
「ホテルも捜しているのか」―「ホテルはもう見つけた」
礼を言って、ホテルへ向かう。
ホテルは、駅から1本左側の道 G. カルドゥッチ通りを 300m、
ローマ通りとの交差点を左に曲がると、すぐ見つかる。
部屋が空くのは午後1時からとのこと、荷物を預け、
外はかなり暑いので、薄着になって町へ。
落ち着いた、おもむきのある町、という印象。建物の配置というかバランスがよい。
ガリバルディ広場、そのとなりのポーポロ広場、そこから右、左、右と曲がって
インフォメーションへ。
地元でもらう地図はたいてい、例外もときにはあるが、通り名がきちんと載っていて
歩くときにはとても重宝する。
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連れが、
このインフォに来る手前で、
「何かを挟んだ
おいしそうなものを、
外のテーブルで食べていた」
と言う。
サン・ヴィターレ教会を
ぐるりと回ってから、
戻って、
さきほどの店を確認し、
地図に印をつけておく。
ネオニアーノ礼拝堂、
ドゥオーモ、
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questa pianta della città:
da "Ravenna, World Heritage, UNESCO";
turismo@comune.ra.ita
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そしてダンテの墓所を訪ねた。
この町ではこの墓所(廟所)と
第二時大戦中に
棺を疎開(避難)させていたという
蔦で覆われた「土盛り」が
いちばん印象深かった。
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この墳墓(塚)の下で
ダンテの(遺)骨は
安らかな休息を得ていた。
1944年3月23日から
1945年12月15日まで
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さて、先ほどの店へ行くことにしよう。
メニューにピアディーナとあるので、尋ねると、ナンのような丸くて薄いパンを出して見せる。
あとから辞書で調べたら、ロマーニャ地方(ボローニャの南東)の特産で、
大型のものがピアーダ、その縮小形がピアディーナだった。
それに種々の具を挟んでくれるようだ。
生ハムとモッツァレルラを包んでもらい、「冷たいまま、持ち帰り」。
やっとこの語がすぐ出るようになった。4.5€、量はたっぷり。
ホテルへ戻る。誰かの屋敷をホテルに転用した風。広い中庭をはさんで回りに客室(地階:1階)、
かつてどこかの町(スペインだったか?)でもこういうのに出くわしたことがある。
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