'10年・シチリアとプ−リアへの旅 >>
14-1.<< 8/15(日)メッシーナからナーポリ >>
7時過ぎに食事。

9時過ぎに支払い。

2泊分 196€ のところが 180。予想の金額と違ったので、聞き直した。

ともかく、安くしてくれるのなら、それに越したことはない。

180€ を支払い、宿を後にした。

あとで調べたら、このホテルへは、予約の打診の際に、一泊 90 でどうか、

とメールを送ったけれども、音沙汰がなかった。

それで、やむをえず仲介業者を通して予約を取った。

業者は「98€ で予約(2泊で 196)」という返信をよこしていた。

メッシーナ1035分発のICは、コンパートメントで、席はあいにく3人掛けの真ん中。

窓側には若い男が二人。ラフな格好をしていたが、応対はわりとまとも。

われわれの後、若い女ふたりが通路側に坐る。荷物は山ほど。行儀は悪い。

列車は出発後すぐ船倉に入った。

コンパートメント内の電気は点いたまま、エアコンもよく効いている。

相客は誰も外へ出ない。

しかしこちらは、海の風に当たりたいし、景色も眺めたい。

少し待ってから、隣のおネエちゃんに、ふさいでいる荷物をよけてもらい、

車外に出た。

車内のコンディションによって、ひとの動きが違っている。

出るときに気がついたが、隣の車輛は電気が消えていて、客はみな出払っていた。

甲板に上がってみると、船は、もうすでに、海峡の中ほどまで来ていた。

お昼にする。パンとぶどう酒。飲み食べ終わると、もう岸が近い。


対岸の町カラーブリアを過ぎてから、どのあたりの駅だったか。

大柄な男とその家族が乗り込んで来た。

われわれのコンパートメントの前で、窓際の席の若者二人に声を掛け、早口で何かを(座席番号のことだろうが)話し始めた。

話が済むと、その若者たちはおおごとして荷物を降ろし、別なところへ移動して行った(彼らは指定券を持っていない)。

若い女ふたりは窓際の席に移る(彼女らはその席のチケットを持っていた)。

大柄な男が、その家族のひとりと、通路側の席に坐るのかと思ったら、そうはせずに、

今度は車掌をつかまえて、しばしの間、何か(座席のことについて)交渉をしている。

話がついたようで、別な、空いている(家族全員が座れる)コンパートメントへと移った。

そのしばし後、こんどは中年の夫婦が現れ、通路側に席を占めた。このカップルは英語圏のひと。

家内の言では、窓際の若い娘たちのバッグにはオーストラリアとあった由。


ナーポリに着いた。駅構内は工事中だった。

駅前の通りは、前回来たときと同じように、相変わらずの雑踏。人種もさまざま。

歩道にひしめく露店の脇を、通行人をよけながら歩く。

ホテルの部屋は広くて、まずまず感じがよい。シャワーを浴びてから、夕食にする。

かのジイさんに強力に薦められた 22 ユーロのヴィーノは、じつに上品な味で申し分なし。

パレルモの兄チャンの 15.5€ のも、値段にしてはなかなかおいしいと思ったのだが、

比べれば、やはり田舎風だったかな。


この日(15日:フェラゴスト)の夕方、

テレビでシエナの競馬の中継を延々とやっていた。

一般のニュースは、その合間に流す。

この本戦に先立つ前触れのセレモニーが長い。

ようやくのことで出走する人馬が出てきたが、これまたなかなか揃って位置につかない。

2度も3度も、仕切り直しを繰り返す。

4度目ぐらいになった。だいたいは揃ったが、

一頭だけ、少し下がった位置でぐずぐずしている。

でもこのぐらいやり直すと、あとは一頭ぐらい遅れても、もうどうでもいいのだろう。

突如、スタートの合図が出され、一斉に走り出した。

例の一頭は、集団から遅れたまま、ビリで付いてゆく。

待っている時間はじつに長かったが、その勝敗はあっけなかった。
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