'07年・オーストリア縦断
10-1.<< 8/15(水)  今度は東、ザルツブルクへ >>
フロントで会計。「クライネス・ゲシェンク(ちょっとしたお土産)を」と

「ソーセージのパック」をくれた。「我々の昼食のときにいただきます」

EC563Getzner Werkstoffe」はインスブルック9.30発。

これは、ブレゲンツ始発、ヴェストバーンホーフ行きのインタシティで、

われわれは、最後尾に乗る。

コンパートメントはインスブルックで、もう一杯になる。

途中の駅からも乗り込み、通路に立っているひともでてきた。祭日のせいか。

途中、イェンバッハのホームに、アッヘンゼー鉄道 (Achenseebahn) のミニSLが2編成

停まっていて、たくさんの家族連れが乗り込んでいるのが見えた。

窓際の若い男の二人連れ、その片方が、先ほど来、ケータイで延々としゃべっている。

もう一方は手持ちぶさた風だ。話が終わり、静かになった。

ザルツブルクまであと10分。どこかのコンパートメントで、何かどんちゃん騒ぎをやっている。

降りるときに脇を通って、気がついたが、その連中、禁煙車なのに、タバコを吸っていたようだ。
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駅から見当をつけて、歩き出し、辺りを見渡し、さてどこか、と思ったら、

目の前に、目立たない、今夜の宿が見つかる。入り口が脇にある。

フロントには、中年の男がいて、やはり、まだ部屋は塞がっているとのこと。
オーストリアのホテルは、チェックアウトが、

そして部屋の掃除が「遅め」で、午後2時か3時ごろのようだ。

必要事項を書き込んでから、荷物を預けて、外出。

リンツではホテルからの出だしに、

位置と方向をよく確認しないで歩き始め、苦労をした。

今度は、ホテルのカウンターの男に、

「何度も尋ねて、申し訳ないが」と断って、道筋をよく確認した。

「ぜんぜん迷惑ではない」といって、

言葉づかいと態度は一見ぶあいそうだが、

それでもきちんと、説明をしてくれた。

地図をカウンターに拡げ、

それをぐるっと回して、道の方向に合わせ、

「ホテルの前の道はこれだ、右の方向へ行けば、街だ」

と示してくれた。

こんどはよくわかった。しかもほとんど一本道。

Der Stadtplan oben ist aus TOURISMUS SALZBURG GMBH, September 2006
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シュターツ橋(Staatsbrücke)を渡り、(旧)市庁舎のアーチを潜ってからすぐに、

左へ折れ、Judenasse(ユダヤ人小路)を通って、モーツァルト広場(Mozartplatz)へ出る。

ついで、右手へ、レジデンツプラッツを通り過ぎて、祝祭劇場前を通る。
この劇場前の Hofstallgasse

ずっと先まで歩いて、

端のところから、

ぐいと右に深く曲がって、

ゲトライデガッセ、

あとは橋を目指して、

適当な「通り抜け」を北へ向かう。
aus: Baedekers Reiseführer,Österreich; Karl Baedeker GmbH,
Ostfildern-Kemnat bei Stuttgart, 1988
祝日ゆえ、店は、みやげもの屋を除き、閉まっているが、

専門店のショーウィンドウには、わりとよい品柄が、並べてある。

ひとの身なりも、心なしか、上品に見える。

コンサートへゆくのだろう。正装したしたひとも、あちこちに。

マルカルト小橋(Markartsteg)を渡る。

ミラベル公園を斜に横切って、右側のもと来た大通り(ライナーシュトラーセ)へ出る。

ホテルの前まで来てから、周囲を探索してみようと(1区画を)ぐるっと回って見た。

しかし、場末の飲み屋街といった雰囲気で、あまりよい環境とは言えない。早々に退散する。
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品のよいおばあさんがフロントにいて、丁寧に応対してくれる。

部屋は2階のスュット(スィート)。

天蓋付きのベット、家具調度品も木製で、落ち着いた造りである。

すぐにバスに入った。ゆっくりと疲れをほぐせる感じの、具合のよい湯舟だ。

これで街路の概略、配置がよくわかった。

あすはモーツァルトの生家などを訪ねるつもりだが、場所は簡単に見つかる、というわけ。
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