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09-1.<< 8/12(金) ジュネーヴから、古都ベルンへ >>
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例によって、食事前に、フロントにホテル代の支払いにゆくと、
60代とおぼしきオジサンがいた。
支払いを済ませてから、スイスのフランス語の数字の言い方について尋ねた。
70は、やはり(soixante-dix ではなくて)セプトント(septente)、
80だけは、フランス本国と同じくカトゥルヴァン(quatre-vingt)、
90は(quatre-vingt-dix ではなく)ノノント(nanante)と言う、という話だった。
ベルギィでは80をウィトント(huitante)と言っている、と教えてくれたが、
これは、いずれベルギィで確かめよう。
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今日も快晴。連日、好天気に恵まれ、
今回の旅は、比較的、短期間だったが、じゅうぶんに見て回れた気がする。
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ベルン駅に降り立つ。宿は、すぐ近くのはずなのだが、その方向がよくわからない。
手元には、日本のガイドブックの中の小さな地図と、
コピーしてきたベデカ-のやや詳しい、しかしいささか表示が古い地図しかない。
小さな地図の表示は、この実際の広い駅前広場と、よく合わない。
古い地図には電車通りが乗っていない。
適当に見当をつけて歩いてみたが、どうも違う、何か間違えているようだ。
子供を連れた若い奥さんが向うから来た。
日本のは役に立たないので、べデカ-(Baedekers Reiseführer)の地図を見せながら、
それに載っている Bubenbergplatz はどこかを聞いてみた。
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ホテルは駅から見て、そのすぐ南側にある
はずであった。
しかし奥さんは、このプラッツがどこなのか、
よく分からない風である。
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aus: Baedekers Reiseführer, Schweiz; 1989
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やむをえない。元の駅前広場に戻る。
広場の脇の石のベンチに腰を掛けているオジイサンが、土地の人と見えた。
この辺りのことをよくご存知か、と聞くと、よく知っているとのこと。
それでは、と聞こうとすると、先ほどの若奥さんが、わざわざ戻ってきた。
他の人に聞いて分かったので教えてくれる、と言う。
せっかくのご好意なので、耳を傾ける。
「Bubenbergplatz は向うの(東の)建物のようだから、
ホテルはその建物の向う側だろう」、という話であった。
わざわざここまで戻ってきてくれて、説明してくれたので、煩わしたことを詫び、
よくお礼を言ったが、じつのところ少し腑に落ちない話であった。
奥さんが立ち去ってから、改めて、かのオジイサンに Baedeker の地図を見せて、説明を乞うた。
オジイサンは
「あのメートヒェンは(と言った、「子供を連れた奥さん」のことを。)間違えている。」
地図をみながら「Bubenbergplatzとは、(いまは)そこの電車通りあたり(南)を指す。
だから、あなたが目指すホテルはそこの通りを挟んだ向う側の建物のはずだ。」
この説明には、合点がいった。
電車通りのところに立ち、向う側を見ると、目指すホテルの名前が見える。
つい目と鼻の先なのだが、方向が分からないと目に入らないものだ。
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ホテルのチェックインは2時から、というので、荷物を預かってもらい、
外に出ようとして、思いついて、
「トイレはどこですか」と、これだけをフランス語で聞いた。
受け付けのオネエサン、途端に、フランス語で
「残念ナガラ、ココニハナイ。駅ノトイレへ行ッテクダサイ」
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車道から見て、歩道の手前に、あるいは足元に、というのか、5、6メートルおきに、
斜めに(ほとんど蓋というほどの)ドアが据えてある。
通りがかりの兄チャンに聞いてみた。
兄チャンは(ちょうどお昼どきで、
近くで買ってきたらしい、パンその他のラップに包んだ食べ物を手にしていたが、
それらをジェスチャーの勢いが余って回りに飛ばしつつ)熱心に説明してくれた。
これらは地下室への入口で、なかは、今でも、ほとんど皆が、
レストランとか何かの店とか、細工師の仕事場など、に使われている、
そして、こういった地下室のうちでも、
時計塔の角を北へ少し行って左手、コルンハウスの地下室はとても広くて、
しかもそこはベルンで一番のレストランになっている、とのことであった。
この2週間後、日本のテレビのニュースで、
ベルンの旧市街が洪水に見舞われ、人々が通りの泥を掻き出している様子が映っていた。
おそらく、この町を、コの字型に、半周以上も、巻くように流れている
アーレ川が氾濫したのだろう。
かの地下室も、かなりの被害を被ったのではなかろうか。 |
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