'05年・スイスの南北と西の端
04-1.<< 8/7(日) マッジョーレ湖畔のロカルノ往復 >>
朝食のおかずは豊富だった。カップチーノもうまい。

ルガーノ駅発8時42分のSバーン(Linie1)に乗るべく、ホームで待つ。
Giubiasco という田舎駅で乗り換えるつもりなので、

近くに立っていた、年輩の逞しいオジサンに

「ジュビアースコ」と発音するのか、を確認する。
Bellinzona 行き普通電車(S1)、ルガーノ駅のホームで
「その駅で乗り換えて、ロカルノへ行く」と言うと、

「インタシティには乗るな」と何度も、念を押される。

ジュビアースコで降りて、降りたホームで待つ。

反対側の4番線のSバーン(Linie2 )に乗るためなのだが、

同じ Linie1 の電車から降りたオバアサンが出口の方へ向かいつつ、

こちらの待っている様子に気がつくと、戻って来て、気づかって

「あなた方はどこへ行くのか」言う。

「ロカルノへ行きます」と言うと、合点して、去って行った。

ルガーノ、ロカルノ近辺のローカル線(S1、S2)の車内アナウンスは、

「プロッシモ・フェルマータ、ゴルドーラ(prossimo fermata, Gordora) 」

と、イタリア語でだけ。
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ロカルノのまともな地図は持っていないので、途中、ひとに聞きながら、

ガード脇の、カステロ・ヴィスコンティとおぼしきところに来た。

『山猫』とか『ヴェニスに死す』(題材はトーマス・マンの短編)などで知られる、

かの有名な映画監督ルキーノ・ヴィスコンティの先祖の城だそうだ。

買い物帰りのオバサンに聞いて確かめる。

オバサンは教えてくれると、「ブオナ・ドメーニカ(よい日曜日を)」と言って、

ガードを潜って行った。日常的な挨拶なのかもしれないが、快い響きが耳に残る。
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城の、向かって左から裏へ、ぐるっと回って、山沿いの小路をぶらぶらと歩く。

古い町並み、と見えるが、あいにく日曜日なので、みな閉まっている。

しばらく行くと、石壁に「マドンナ・デル・サッソ教会」の方向を示す標識が見える。

この教会へはフニコラーレで上がるつもりでいたのだが、

旧参道のようなので、このまま、歩いて上がってみることにする。

道は趣があり、途中の景色もよい、が、歩いて登り切るのは、けっこう大ごとだった。

帰りはケーブルにする。
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昼過ぎの電車でルガーノに戻った。

案の定、ルガーノの町の中は、ほとんどぜんぶ店閉まいで、

きのうの賑やかさとは打って変わった静けさである。

これでは為すすべもない。さっとひと回りして、宿に戻る。

こちらも今日は休養の日、ということにする。

テレビのチャンネルをいじくってみた。

イタリア語のチャンネルが4つ、他は、ドイツ語が2つ、フランス語が1つだった。

RAI(イタリアのNHK)は、

こういうものは初めて見たが、一種の馬術競技の中継を延々とやっていた。

中世の騎士の決闘を競技化したもの、のようで、馬に乗り、ごつい長槍を右手に、

比較的狭いコースのカーブから直線に入ると、思いきり拍車を当てて、

金属の的を、すれ違いざまに、槍で突く。

人がたが、馬上の人の高さに、据えてあり、的は、その左胸辺りの位置に、ぶらさげてある。

的はコースの、間を置いて、三か所に、設置してあった。

的を射る、その正確さ、プラス、馬を駆る速さで、総合得点になる、と見えた。
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