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04-1.<< 8/7(日) マッジョーレ湖畔のロカルノ往復 >>
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朝食のおかずは豊富だった。カップチーノもうまい。
ルガーノ駅発8時42分のSバーン(Linie1)に乗るべく、ホームで待つ。
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Giubiasco という田舎駅で乗り換えるつもりなので、
近くに立っていた、年輩の逞しいオジサンに
「ジュビアースコ」と発音するのか、を確認する。 |
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Bellinzona 行き普通電車(S1)、ルガーノ駅のホームで
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「その駅で乗り換えて、ロカルノへ行く」と言うと、
「インタシティには乗るな」と何度も、念を押される。
ジュビアースコで降りて、降りたホームで待つ。
反対側の4番線のSバーン(Linie2 )に乗るためなのだが、
同じ Linie1 の電車から降りたオバアサンが出口の方へ向かいつつ、
こちらの待っている様子に気がつくと、戻って来て、気づかって
「あなた方はどこへ行くのか」言う。
「ロカルノへ行きます」と言うと、合点して、去って行った。
ルガーノ、ロカルノ近辺のローカル線(S1、S2)の車内アナウンスは、
「プロッシモ・フェルマータ、ゴルドーラ(prossimo fermata, Gordora) 」
と、イタリア語でだけ。
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ロカルノのまともな地図は持っていないので、途中、ひとに聞きながら、
ガード脇の、カステルロ・ヴィスコンティとおぼしきところに来た。
『山猫』とか『ヴェニスに死す』(題材はトーマス・マンの短編)などで知られる、
かの有名な映画監督ルキーノ・ヴィスコンティの先祖の城だそうだ。
買い物帰りのオバサンに聞いて確かめる。
オバサンは教えてくれると、「ブオナ・ドメーニカ(よい日曜日を)」と言って、
ガードを潜って行った。日常的な挨拶なのかもしれないが、快い響きが耳に残る。
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城の、向かって左から裏へ、ぐるっと回って、山沿いの小路をぶらぶらと歩く。
古い町並み、と見えるが、あいにく日曜日なので、みな閉まっている。
しばらく行くと、石壁に「マドンナ・デル・サッソ教会」の方向を示す標識が見える。
この教会へはフニコラーレで上がるつもりでいたのだが、
旧参道のようなので、このまま、歩いて上がってみることにする。
道は趣があり、途中の景色もよい、が、歩いて登り切るのは、けっこう大ごとだった。
帰りはケーブルにする。 |
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昼過ぎの電車でルガーノに戻った。
案の定、ルガーノの町の中は、ほとんどぜんぶ店閉まいで、
きのうの賑やかさとは打って変わった静けさである。
これでは為すすべもない。さっとひと回りして、宿に戻る。
こちらも今日は休養の日、ということにする。
テレビのチャンネルをいじくってみた。
イタリア語のチャンネルが4つ、他は、ドイツ語が2つ、フランス語が1つだった。
RAI(イタリアのNHK)は、
こういうものは初めて見たが、一種の馬術競技の中継を延々とやっていた。
中世の騎士の決闘を競技化したもの、のようで、馬に乗り、ごつい長槍を右手に、
比較的狭いコースのカーブから直線に入ると、思いきり拍車を当てて、
金属の的を、すれ違いざまに、槍で突く。
人がたが、馬上の人の高さに、据えてあり、的は、その左胸辺りの位置に、ぶらさげてある。
的はコースの、間を置いて、三か所に、設置してあった。
的を射る、その正確さ、プラス、馬を駆る速さで、総合得点になる、と見えた。
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