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18.モンパルナス墓地
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7時10分に朝食をとり、8時に出発する。
まず、地下鉄4号線で東駅へゆく。
案内で、荷物預かりの場所を聞いた。
やはりコインロッカー式で、6ユーロだった。
5号線でバスティーユへ行ってみる。
地上への出口がたくさんある。
わからないので、適当に出たら、広場の南端で、
七月革命記念柱のてっぺんに立つ天使が、日の光で金色に輝いていた。
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そのあと、1号線に乗り、シャトレで6号線に乗り換え、エドガー・キネで降りる。
外に出た所で、中年の婦人に、
シムティエール・モンパルナス(モンパルナス墓地)への入口を聞く。
婦人は、ハンドバッグの中から、幾重にも折り畳まれたパリ市内地図を取り出すと、
それをそばのカフェーテラスのテーブルの上に広げて、入口の位置を教えてくれた。
墓地の正面入口の脇の詰め所で(墓地内の主要人物の墓の位置を区分番号で示した)地図をもらう。
モンマルトルでも、同じような地図をくれた。
ボードレールの墓は、通りがかりの二人連れのおばあさんが教えてくれた。
モーパッサンの墓が、ぜんぜんわからない。
墓の手入れをしていたオジサンに尋ねると、「向う側」だと言う。
が、どうもぴんとこない。言われた方向には、コンクリート塀があるだけだ。
娘が、「道 (Rue Émil Richard) の向う側ではないのか」と言うので、
塀沿いにずーっと奥へ進んで行った。
すると、南東の端に出入り口があった。
そこから、通り(の両側は塀)を横切って、「向う側」の墓地へ入った。
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from: Plan du Cimetière Montparnasse
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しかしながら、モーパッサンの墓があると思われるあたり一帯は、墓が立て込んでいた。
そこから目当ての墓を探し出すのは、なかなか難しい、と思えた。
そのとき、やや遠くの、墓地内の道で、
工事のオジサンが、太めのホースのような物を引っ張って、
これから何かの作業を始めようとしているのが、見えた。
邪魔をして申し訳ないとは思ったが、敢えて尋ねてみた。
すると、墓のことはわかっているという顔をして、やりかけていた仕事を中断し、
「あとに付いて来るように」と言って、
墓と墓とのあいだの小径を、足早に、右へ左へと幾度も曲がりながら、
目的の場所まで導いてくれた。
これでは、自分だけで見つけだすのは、とうてい不可能なことだった。
墓の写真を2枚とり、これで「モーパッサン訪問」は済んだ。
その場を去り、少しゆくと、若い女性ふたりがウロウロしているのに出会った。
そのまま通り過ぎかけたが、少し気になったので、声をかけて(いささか怪しげな表現で)
「モーパッサン(の墓)がどこかを知りたいのか ? 」と聞いてみた。
すると案の定、「そうだ」と言う。
「私はそれを知っている」と言って、ふたりを墓まで連れて行った。
請け売りで、フランス人(かと思うのだが)に墓の場所を教えてやった、というわけ。
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ふたたび6号線に乗り、
パストェール駅で12号線に乗り換え、サン=ラザール駅で下車する。
トロンシェ通りを少しくだり、すぐ左折してブルヴァール・オスマンに出、
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連れに付き合って「プランタン」と
「ラファイエット」とかいうデパートに入る。
が、相棒のふたりにとって、目ぼしいものは何もなかった風だ。
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from: Baedekers Allianz-Reiseführer, Paris. Karl Baedeker GmbH 1988
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