'04年・フランス漫歩の巻
18.モンパルナス墓地
7時10分に朝食をとり、8時に出発する。

まず、地下鉄4号線で東駅へゆく。

案内で、荷物預かりの場所を聞いた。

やはりコインロッカー式で、6ユーロだった。

5号線でバスティーユへ行ってみる。

地上への出口がたくさんある。

わからないので、適当に出たら、広場の南端で、

七月革命記念柱のてっぺんに立つ天使が、日の光で金色に輝いていた。
〜〜〜〜
そのあと、1号線に乗り、シャトレで6号線に乗り換え、エドガー・キネで降りる。

外に出た所で、中年の婦人に、

シムティエール・モンパルナス(モンパルナス墓地)への入口を聞く。

婦人は、ハンドバッグの中から、幾重にも折り畳まれたパリ市内地図を取り出すと、

それをそばのカフェーテラスのテーブルの上に広げて、入口の位置を教えてくれた。

墓地の正面入口の脇の詰め所で(墓地内の主要人物の墓の位置を区分番号で示した)地図をもらう。

モンマルトルでも、同じような地図をくれた。

ボードレールの墓は、通りがかりの二人連れのおばあさんが教えてくれた。

モーパッサンの墓が、ぜんぜんわからない。

墓の手入れをしていたオジサンに尋ねると、「向う側」だと言う。

が、どうもぴんとこない。言われた方向には、コンクリート塀があるだけだ。

娘が、「道 (Rue Émil Richard) の向う側ではないのか」と言うので、

塀沿いにずーっと奥へ進んで行った。

すると、南東の端に出入り口があった。

そこから、通り(の両側は塀)を横切って、「向う側」の墓地へ入った。

from: Plan du Cimetière Montparnasse
しかしながら、モーパッサンの墓があると思われるあたり一帯は、墓が立て込んでいた。

そこから目当ての墓を探し出すのは、なかなか難しい、と思えた。

そのとき、やや遠くの、墓地内の道で、

工事のオジサンが、太めのホースのような物を引っ張って、

これから何かの作業を始めようとしているのが、見えた。

邪魔をして申し訳ないとは思ったが、敢えて尋ねてみた。

すると、墓のことはわかっているという顔をして、やりかけていた仕事を中断し、

「あとに付いて来るように」と言って、

墓と墓とのあいだの小径を、足早に、右へ左へと幾度も曲がりながら、

目的の場所まで導いてくれた。

これでは、自分だけで見つけだすのは、とうてい不可能なことだった。

墓の写真を2枚とり、これで「モーパッサン訪問」は済んだ。

その場を去り、少しゆくと、若い女性ふたりがウロウロしているのに出会った。

そのまま通り過ぎかけたが、少し気になったので、声をかけて(いささか怪しげな表現で)

「モーパッサン(の墓)がどこかを知りたいのか ? 」と聞いてみた。

すると案の定、「そうだ」と言う。

「私はそれを知っている」と言って、ふたりを墓まで連れて行った。

請け売りで、フランス人(かと思うのだが)に墓の場所を教えてやった、というわけ。
〜〜〜〜
ふたたび6号線に乗り、

パストェール駅で12号線に乗り換え、サン=ラザール駅で下車する。

トロンシェ通りを少しくだり、すぐ左折してブルヴァール・オスマンに出、
連れに付き合って「プランタン」と

「ラファイエット」とかいうデパートに入る。

が、相棒のふたりにとって、目ぼしいものは何もなかった風だ。

from: Baedekers Allianz-Reiseführer, Paris. Karl Baedeker GmbH 1988
< 前のページ