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14.フィレンツェからいっきょに南下、ナーポリへ
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朝の RAI Uno の定例の料理ないし園芸の番組。
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けさはメランツァーネ(ナス)の輪切りのフライパン炒め。
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3チャンネルの RAINEWS 24 の天気予報: ナーポリは晴れ、最高気温は34度。
あいかわらずの高温。
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エウロシティは、どこの駅でも、わりと早めに番線の表示があったのだが、
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今日の8時54分発(ES*9425)は、発車15分前になっても、番線が表示されない。
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42分発のインテルシティは、ずいぶん前から表示されていた。
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よもや手元の予約券に手違いはあるまい、とは思ったが、
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列車運行上の都合で、ひょっとして、何かの変更が生じないともかぎらない。
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切符売場を見渡すと、閉じてはいるが、係の人のいる窓口が見えた。
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「ちょっと尋ねたい」
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と言ったら、窓口を開けてくれた。
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「54分発のESのチケットを持っているが、これはもしかして42分発のICのチケットではないか。
ICの発車番線は出ているが、ESのは出ていない。」
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すると、こちらの券を丁寧に点検して、
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「これは間違いない。54分発のESは来る。」
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と言う。
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イタリアも、大きな都市の駅は、終端駅である。
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フィレンツェ・サンタ・マリーア・ノヴェルラ駅もそうなので、
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ブリッジを渡ったり、地下道へ降りたりする必要はない。
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それゆえ、発車直前になってから、番線が表示されてても、
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移動するのは、大荷物を持っていても、そう大ごとではない。
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毎度のごとく、予約している旨を言い、占拠していたオバサン二人と若者に立ち退いてもらう。
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今回の隣人、通路側に掛けた若い女は、通路を挟んで筋向かいの、若い男と
友だちのようであった。
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途中、ふたりとも、しばしばケータイで(他の、やはり友人と)話をしていた。
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友人がナーポリの駅まで出迎えに来るようである。
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お互いがケータイを使っていないときは、ナポリに着くまでの間、ふたりは、通路を間に、
おしゃべりをしていた。
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といっても、男はほとんど聞き役で、女の方が、間断なく、たわいの無い (?) ことを
ペラペラとしゃべり続けた。
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どういうわけか、しきりに辺りの席の人の様子を窺い、そうしながら話を続け、喋るたびに、
それが癖のようにむやみに笑っていた。
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ナポリに着くまで、そうだった。
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車内販売が、「セルヴィーチオ・バール」と言いながら、回って来た。
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軽食売店一般を称してバールと言うようだ。
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ローマ・テルミニに停車のころ、辺りが急に暗くなり、にわか雨になった。
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稲妻も光った。
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が、列車がテルミニを出て南に向かううちに、空は、少しづつ明るくなってきた。
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進行方向の左手、遠くに山塊が見えてきた。アブルッツィの山地ではないかと想像するのだが、
どうだろうか。
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ナーポリに着いたときは、晴れていて、暑さもいつもの通りだった。
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ただし、ナーポリの駅に降り立つと、たしかに暑さはこれまでの通りだったが、
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降り立ったとき受けた、町の印象は、いままでの町のそれとは、だいぶん違う。
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溢れるような、雑多な人の群れ、その喧噪と活気に、いささか度胆を抜かれた。
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路上の物売りと、行き交う人のあいだを縫ってゆきながら、
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駅前(大工事中で、まわりをフェンスで囲い、地下深く掘り下げている)のガリバルディ広場の
北西端まで、荷物を引っ張って歩いた。 |
端の手前で右に折れると、今日の宿はすぐに見つかった。
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二重になったドアを押して入ると、
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フロント前の狭いホールに警官が4、5人固まっていた。
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が、もう引き揚げるところだった。
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フロントにいたのは、プレスリーにそっくりの男前で、我々を愛想よく迎えてくれた。
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小柄で、口数の少ないオバサンに先導されて、3階の211号室に入った。
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さほど広くはないが、狭くもない。
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(静かで)まともなエアコンに加え、冷蔵庫も置いてあるので、まずまずだ
(あとで缶ビールを6本買ってくるつもりゆえ)。
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ホテル前の通りは、駅前の広場の西端を南北に走る幹線道路(Corso Garibaldi)である。
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幹線にしては道は狭くて、それでいて、車の往来は激しい。
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騒音はかなりのものだが、通りに面した大窓は、今回のイタリア旅行中によく見かけた
鉄製のヨロイ戸が、ガラス戸の外に付いている。
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そして、ガラス戸との間を90センチ(壁の厚さの分)ほど空けて、内側にもうひとつ頑丈な
金属製の扉が付いている。
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夜は、全部閉めれば、三重に音を遮断するので、外の車の音は、聞こえはするが、
うるさくはない。
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ひと休みの後、ホテル前の通り(カルボナーラ通り)を右へ(北西へ)向かう。
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歩き出してまもなく出会った中年の夫婦に、カステル・カプアーノ(ナーポリでは、城は
Castello ではなく Castel と言うようだ)の方向を聞く。
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オバサンが元気な声で、身ぶり手ぶりで、教えてくれる。
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礼を言うと、
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「プレーゴ、プレーゴ」こちらに握手を求めて、「アリヴェデルチ!」
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赤の他人なのに、まるで旧知にたいするごとく。
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そのつぎに、ドゥオーモの場所を聞いた相手も、さっきのオバサンと同じように、応対は、
陽気そのものだった。
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ナーポリのひとたちは、いままで会ってきたイタリア人たちとは、どうもジンシュが違うようだ。
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ところで、道を教えられて、西へ向かうべきところを、あたり一帯が入り組んだ
横町だらけだったせいか、
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どこをどう間違えたのか自分でもよくわからないまま、南に下ってしまっていた。
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知らずに、ドゥオーモからは、もうだいぶ離れてしまったので、そこへ行くのは諦めた。
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まず、わかりやすい大通り(Corso Umberto primo)へ出て、それから、西へ向かうことにした。
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もう頻繁に、通行人に声をかけて、わが居場所を確かめながら、
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ニコーラ・アモーレ広場(Piazza Nicola Amore)を過ぎ、ナポリ大学の角で右折し、
メッツォカンノーネ通り(Via Mezzocannone)を北上して、
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マッジョーレ教会(S. Domenico Maggiore)前で、また左(西南西)に折れた。
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通り名は、Via B. Croce 、逆方向(北北西)は Via S. Biagio dei Librai 。 |
これは細い道だが、かつては街道筋で、
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Spacca Napoli という通称は、この通りが Centro Storico (Historic Centre) を
二つに切っていることに由来するらしい。
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from "Baedekers Reiseführer, Italien." Karl Baedeker Verlag, 1989, p.371
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キアーラ教会(S. Chiara)、モンテオリヴェート通りを経て、ふたたび
ウムベルト1世通りに出た。 |
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