'03年・イタリア徘徊の巻
14.フィレンツェからいっきょに南下、ナーポリへ
朝の RAI Uno の定例の料理ないし園芸の番組。
けさはメランツァーネ(ナス)の輪切りのフライパン炒め。
3チャンネルの RAINEWS 24 の天気予報: ナーポリは晴れ、最高気温は34度。

あいかわらずの高温。
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エウロシティは、どこの駅でも、わりと早めに番線の表示があったのだが、
今日の8時54分発(ES*9425)は、発車15分前になっても、番線が表示されない。
42分発のインテルシティは、ずいぶん前から表示されていた。
よもや手元の予約券に手違いはあるまい、とは思ったが、
列車運行上の都合で、ひょっとして、何かの変更が生じないともかぎらない。
切符売場を見渡すと、閉じてはいるが、係の人のいる窓口が見えた。
「ちょっと尋ねたい」
と言ったら、窓口を開けてくれた。
54分発のESのチケットを持っているが、これはもしかして42分発のICのチケットではないか。

ICの発車番線は出ているが、ESのは出ていない。」
すると、こちらの券を丁寧に点検して、
「これは間違いない。54分発のESは来る。」
と言う。
イタリアも、大きな都市の駅は、終端駅である。
フィレンツェ・サンタ・マリーア・ノヴェラ駅もそうなので、
ブリッジを渡ったり、地下道へ降りたりする必要はない。
それゆえ、発車直前になってから、番線が表示されてても、
移動するのは、大荷物を持っていても、そう大ごとではない。
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毎度のごとく、予約している旨を言い、占拠していたオバサン二人と若者に立ち退いてもらう。
今回の隣人、通路側に掛けた若い女は、通路を挟んで筋向かいの、若い男と

友だちのようであった。
途中、ふたりとも、しばしばケータイで(他の、やはり友人と)話をしていた。
友人がナーポリの駅まで出迎えに来るようである。
お互いがケータイを使っていないときは、ナポリに着くまでの間、ふたりは、通路を間に、

おしゃべりをしていた。
といっても、男はほとんど聞き役で、女の方が、間断なく、たわいの無い (?) ことを

ペラペラとしゃべり続けた。
どういうわけか、しきりに辺りの席の人の様子を窺い、そうしながら話を続け、喋るたびに、

それが癖のようにむやみに笑っていた。
ナポリに着くまで、そうだった。
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車内販売が、「セルヴィーチオ・バール」と言いながら、回って来た。
軽食売店一般を称してバールと言うようだ。
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ローマ・テルミニに停車のころ、辺りが急に暗くなり、にわか雨になった。
稲妻も光った。
が、列車がテルミニを出て南に向かううちに、空は、少しづつ明るくなってきた。
進行方向の左手、遠くに山塊が見えてきた。アブルッツィの山地ではないかと想像するのだが、

どうだろうか。
ナーポリに着いたときは、晴れていて、暑さもいつもの通りだった。
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ただし、ナーポリの駅に降り立つと、たしかに暑さはこれまでの通りだったが、
降り立ったとき受けた、町の印象は、いままでの町のそれとは、だいぶん違う。
溢れるような、雑多な人の群れ、その喧噪と活気に、いささか度胆を抜かれた。
路上の物売りと、行き交う人のあいだを縫ってゆきながら、
駅前(大工事中で、まわりをフェンスで囲い、地下深く掘り下げている)のガリバルディ広場の

北西端まで、荷物を引っ張って歩いた。
端の手前で右に折れると、今日の宿はすぐに見つかった。
二重になったドアを押して入ると、
フロント前の狭いホールに警官が4、5人固まっていた。
が、もう引き揚げるところだった。
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フロントにいたのは、プレスリーにそっくりの男前で、我々を愛想よく迎えてくれた。
小柄で、口数の少ないオバサンに先導されて、3階の211号室に入った。
さほど広くはないが、狭くもない。
(静かで)まともなエアコンに加え、冷蔵庫も置いてあるので、まずまずだ

(あとで缶ビールを6本買ってくるつもりゆえ)。
ホテル前の通りは、駅前の広場の西端を南北に走る幹線道路(Corso Garibaldi)である。
幹線にしては道は狭くて、それでいて、車の往来は激しい。
騒音はかなりのものだが、通りに面した大窓は、今回のイタリア旅行中によく見かけた

鉄製のヨロイ戸が、ガラス戸の外に付いている。
そして、ガラス戸との間を90センチ(壁の厚さの分)ほど空けて、内側にもうひとつ頑丈な

金属製の扉が付いている。
夜は、全部閉めれば、三重に音を遮断するので、外の車の音は、聞こえはするが、

うるさくはない。
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ひと休みの後、ホテル前の通り(カルボナーラ通り)を右へ(北西へ)向かう。
歩き出してまもなく出会った中年の夫婦に、カステル・カプアーノ(ナーポリでは、城は

Castello ではなく Castel と言うようだ)の方向を聞く。
オバサンが元気な声で、身ぶり手ぶりで、教えてくれる。
礼を言うと、
「プレーゴ、プレーゴ」こちらに握手を求めて、「アリヴェデルチ!」
赤の他人なのに、まるで旧知にたいするごとく。
そのつぎに、ドゥオーモの場所を聞いた相手も、さっきのオバサンと同じように、応対は、

陽気そのものだった。
ナーポリのひとたちは、いままで会ってきたイタリア人たちとは、どうもジンシュが違うようだ。
ところで、道を教えられて、西へ向かうべきところを、あたり一帯が入り組んだ

横町だらけだったせいか、
どこをどう間違えたのか自分でもよくわからないまま、南に下ってしまっていた。
知らずに、ドゥオーモからは、もうだいぶ離れてしまったので、そこへ行くのは諦めた。
まず、わかりやすい大通り(Corso Umberto primo)へ出て、それから、西へ向かうことにした。
もう頻繁に、通行人に声をかけて、わが居場所を確かめながら、
ニコーラ・アモーレ広場(Piazza Nicola Amore)を過ぎ、ナポリ大学の角で右折し、

メッツォカンノーネ通り(Via Mezzocannone)を北上して、
マッジョーレ教会(S. Domenico Maggiore)前で、また左(西南西)に折れた。
通り名は、Via B. Croce 、逆方向(北北西)は Via S. Biagio dei Librai
これは細い道だが、かつては街道筋で、
Spacca Napoli という通称は、この通りが Centro Storico (Historic Centre)

二つに切っていることに由来するらしい。

from "Baedekers Reiseführer, Italien." Karl Baedeker Verlag, 1989, p.371
キアーラ教会(S. Chiara)、モンテオリヴェート通りを経て、ふたたび

ベルト1世通りに出た。
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