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11.ふたたびヴェネーツィアを散策
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テレビの天気予報では、ヴェネーツィアは最高気温が29度、ローマは34度、ナーポリは31度。
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きのうのサルミエーレで、Panzelotte con pomodolo e mozzarella と con spinaci を買う。
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「今日の午後にまた来ます。」
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「イタリア語がじょうずですね。」
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ほんとうに、たどたどしく、難儀しいしい、ブロークンにしゃべっているので、
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じょうずであるわけがない。
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だが、お世辞にしても、イタリア語を誉められたのは、イタリア旅行をして9日目の、
今日が初めてだった。
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「どこで習ったのか。」
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「日本で。」
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「学校で習ったのか。」
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「いや、本で勉強した。数カ月。」
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駅の方向へ少し戻って、今日は、まだ見ていない所へ、と、
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スカルツィ橋を渡ってから、東へ向かう。
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Campo S.Giacomo dell'Orio のところで、少し向きを変え、カナールの方向に
(北東に)向かって歩く。
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ヴァポレットの乗場、S.Stae の桟橋に、暇を持て余している (?) 改札のオジサンがいた。
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「ヴァーグナーがそこで亡くなったというパラッツォはどれか?」
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対岸左手の建物を指し、
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「あれが、パラッツォ・カレルジだ。いまはカジーノになっている。」
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あとは、伊語では手に負えなく、英語を綯い交ぜて、ト−マス・マンの
小説の舞台のリードのこと、マーラーはジェノーヴァで死んだこと等々を、
たどたどしく語り合った。
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カッシアーノ教会を過ぎたところで、ヒョイと、とあるバールのメニューに、
tagliatelle alla bolognese というのが見えた。
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ちょうど亭主が出て来た。
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持ち帰ることができるかどうかを聞くと、できると言う。
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あとでまた来る、と一旦は行きかけたが、戻って
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「考えを変えた。もういちどこの店を見つけるのは難しい。いま買いたい。」
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けっきょくは、その店で作ったものではなく、一種の冷蔵食品だった。
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のだが、まあそれでも、あとで食べたら、量は豊富で、味も申し分なかった。
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運河べりの魚市場に行ってみた。
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魚のきょうの市はもう終わった風だったが、そのすぐ脇、
運河に向かって右手の青果市場が賑わっていた。
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岸壁で地図を広げている子連れの三十そこそこの小綺麗な女性に
(向かい岸にあるはずの)ある建物の所在を聞いたら、
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「I don't know.」のひとこと。
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聞く相手を間違えた。
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市場で商っている体格のよい兄チャンに声を掛けてみた。
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すると、そこで買い物をしていた細身の若者も一緒になって、
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「Ca'd'Oro はあれだ、向うの左の建物だ!」
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と、熱心に教えてくれた。
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サン・ジャーコモ・ディ・リアルト教会を過ぎ、リアルト橋を渡って、
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バルトローメオ広場、Salizzada di Lio を通り、ファーヴァ教会、ジュリアーノ教会を経て、
カルレ・ラルガ を東へ。
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そこの水路の橋から、「Ponte dei Sospiri(嘆きの橋 )」が遠くに見える。
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牢獄(Prigioni)の東から回り Palazzo Ducale の南脇を過ぎ、Procuratie Nuove
(行政庁新館)の南側にある公園(下の地図の Giardini ex Reali)で休む。
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この公園は、南に入口があるが、全体に木立に囲まれていて、目立たない。
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サン・マルコ広場の喧噪とは打って変わって静かな場所で、海風が通る。
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The city map above: from "Baedekers Stadtplan zum Reiseführer"
Mairs Geographischer Verlag - Verlag Hallwag A.G. 1987/88
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公園を出て、少し西へ歩いてから右折し、小路(Calle Vallaresso)を北へ。
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突き当たった丁字路を、左へ行き、リーオ(水路)に架かる橋を渡ると、そのすぐ先に、
こじんまりとしたガラス食器店がある。
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その店で、小さめのビッキエーリ(諸グラス)のセットを購入した。
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西方向から東方向へと、大きくカーヴを描くように小道(カルレ)を歩く。
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Campo Manin を過ぎたあたりの横町で、若いカップルにサン・マルコへの道を聞かれた。
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ひとの流れに沿うことと、サン・マルコ広場への方向を示す、壁のプレートを見ながら
歩けばよいこと、を教える。
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相手は、話しているうち、ドイツ語を混ぜるので、
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ドイツ語ができるのかを聞くと、英語とドイツ語がわかる、ということだった。
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ドイツ人だったのかもしれない。
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ふたたびリアルト橋を渡る(これで4度目か?)。
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マテルドミーニ教会のあたりで、若いグループとすれ違った。
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そのとき、グループの一番あとにいた女性が、ひょいと振り向いて、
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「コンニチワ」
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と声を掛けてきた。
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「ヒロシマに二年いたが、ヴィザが切れ、滞在が難しくなった、
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それで、自分はルーマニア人だが、イタリアに来た、
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いまはヴェネチアで仕事をしている」
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という。
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「では、イタリア語を話すことができるのでしょうね」
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と、イタリア語で言ってみたら、途端にイタリア語に変わり、
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「どこに滞在しているのか。ホテル? 場所はどこか?」
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と矢継ぎ早に聞いてきたので、こちらは答えるのに、しどろもどろになった。
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宿に戻ると、フロントには誰もいない。
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「ブォン・ジョルノ!」と少し大きな声で、奥の方へ声を掛けると、
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天井あたりのスピーカーから
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「何とかかんとか、ペル・ファヴォーレ(Please!)!」
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と、丁寧な言い方が聞こえる。
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つい、フロントの係でも呼び出しているのだろう、と思い込んだ。
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すると、もういちど、
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「何とかかんとか、ペル・ファヴォーレ!」
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こちらは、それでもまだ気がつかないでいた。
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三度目の、こんどは声高で、直截なアナウンス、を聞いて、やっと
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「カギを(棚から)取っていってくれ!」
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と言っていることがわかった。
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こんなことさえよく聞き取れないのだから、ひどいものだ。
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壁の上部にはカメラが付いていた。
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玄関も、ドアの前に立つとブザーが鳴り、それからドアが自動で開く。
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やはりカメラが付いているのだろう。
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しかし、それにしても、どうして三度目まで、イタリア語で叫び続けるのか?
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あすは早出なので、いまのうちに宿の精算を済まそうと、
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しばらくしてから、またフロントへ行ってみた。
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こんどは人がいた。
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「明日は、8時15分ごろに、このホテルを出発する。それで、いま部屋代を払いたい。」
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到着時に言われた通り、一泊150ユーロのままだった。
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余分に取られることはなかった。
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「朝食は、早めに取りたいでしょうか?」
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「できうるならば。」
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「それでは、7時30分にビュッフェに来てください。」
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「それはありがたい。」
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いつもは8時からの朝食を、30分早めてくれた。
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この二日間、ヴェネチアの町を、たてよこ斜めに、くまなく歩き回った感がする。 |
歩き回るのに夢中になり、悠長なヴァポレットには、乗るどころではなかった。 |
船は、いずれまたの機会に、というところだ。
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この日の夕方のテレビは、しきりにシエーナからの中継(競馬)を流していた。 |
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