'03年・イタリア徘徊の巻
10.ヴェネーツィア散策
このホテルの朝食は8時からだった。
食後、宿を出ると、LIsta di Spagna(ホテル前の通り)を東に向かう。
サン・ジェレミーア広場を過ぎ、グーリエ橋を渡って、すぐに左に折れる。
Ghetto Vecchio への入口は狭く、気を付けていないと、つい通り過ぎてしまうほど、目立たない。
いまは金曜日の朝だから、まだ Sabato(安息日、土曜)ではない、と思うのだが。
幸い、ユダヤ人たちの旅行者とおぼしきグループが現れた。
そのグループの老ガイドの説明は(浅学の小生には皆目判別できなかったが、その

イントネーションから)ヘブライ語ではあるまいか、と想像した。
グループから少し離れ、そっと後に付いて、その小路を入っていった。
まわりの建物からは、ときに、ひとりふたりと出入りはあるが、
まだ朝の早い時間のせいか、ほかに人影は見られない。
Camp delle Scuole(集会所ないし教会堂)を通り、Campo di Ghetto Nuovo を経て、そこから
Calle (カレ=横町)Fernese を東に抜けて、通りに出た。

The city map above: from "Baedekers Stadtplan zum Reiseführer"
Mairs Geographischer Verlag - Verlag Hallwag A.G. 1987/88
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カナール・グランデ(大運河)の北側を、S.Fosca、ヌオーヴァ通り(Strada Nuova)と東へ歩き、
だんだんに、と言うか、適当に、南下した。

小路が、やたら迷路のように入り組んでいるけれども、

ひとの動きと、角の建物の上部にときおり見られる

PER S.MARCO(サン・マルコの方へ)」や

PER RIALTO(リアルト橋の方へ)」の表示のおかげで、

多少大回りはしても、特に迷うこともなく、目的地に辿りつける。
リアルト橋に立ち、それからぶらぶらと歩いて、サン・マルコの広場に出た。
まずは上から眺めてみようと、カンパニーレ(鐘楼)に上がる。
残念ながら、階段は封鎖されていて、アッシェンソーレに乗らざるをえない。
楽をして上がっても、もちろん眺め良さには変わりはない。
海からの風が、気持ちよい。
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帰りは西へ向かった。
ヴァルラレッソ横町のガラス食器やを覗き、S.モイーゼ教会の北脇を通り、
Chiesa(教会)S.Maurizio 前の広場、サント・ステファーノ広場(カンポ)を通り、

南西の方向へ少しゆくと、木組みの橋に出た。
念のために、橋の上に立っていた年輩の旅行者に、この橋の名前を聞くと、やはり

Ponte dell'Accademia だった。
橋を渡り、今度は、帰るべく、北を目指した。
リーオ(水路)に架かる小さい橋を、何べんも上がり下りした。
橋は、船の行き来のためか、必ず段々になっている。
車を一台も見ない。
畑も皆無。
そして、建物がほんとうに隙間なく並んでいる。
やはり、特異な町である。
何度も左や右に折れながら、北へ北へと進んでゆくと、カナール・グランデの岸に出た。
見渡すと、駅前のスカルツィ橋が右手向うに見える。
けさ、出掛けに、ホテルのすぐ近くに、いいサルミエーレ(salumiere、デリカテッセン)

を見つけておいた。
人当たりのよいオバサンが、店を仕切っていた。
いろいろなものがあったので尋ねると、面倒くさがらず、丁寧に説明をしてくれた。
ラザーニャ、そしてリゾットを一人前よそってもらい、

三種類ほどあったサラーメの一つをスライスしてもらった。
ホテルに持ち帰って食べると、ラザーニャは、オバサンがしきりに自慢していたが、

ほんとにおいしい。
リゾットも、前にスーパーのものを買い、それでもけっこううまかったが、

ここのは掛け値なしにうまい。
味付けが、混ぜゴハンとはまるで違う。
だいいち、この固めのリーゾは御飯とはやはり似ても似つかぬ。
かつてのタイ米にいくらか近いが、感触は違う。
サラミもいい味だった。
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バスルームで蚊を一匹取った。イエカだった。
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