'03年・イタリア徘徊の巻
9-1.ミラーノからヴェローナ、そしてヴェネーツィアへ(1)
朝、ミラーノ中央駅で、コリエーレ・デラ・セーラ(有名なミラーノの日刊紙)を買ってみた。

第1面には、やはり、今年の異常な暑さのことが載っていた:
見出しに、「暑さに包囲された町、またもや死者。18人の犠牲者、体感温度は49度」

などとある(ようだ)。

The newspaper above: from "Corriere della Sera", giovedì 14 agosto 2003
ミラーノ・チェントラーレ発8時55分ヴェネーツィア行きのエウロシティ(EC*9498)は

10番線からだった。
まわりの席は、出発まぎわには、ほとんど塞がる。
物乞いは、ここかしこにいる。
列車内、地下鉄のホーム、駅構内、発車前のエウロシティの通路にも現れる。
だが、だれもぜんぜん苦にしていない。
乞う方もしつこくはない、すぐに諦める。
実入りはあまりなさそうだ。
〜〜〜〜
列車はミラーノ中央駅を出ると、東に向かう。
まもなく、広大な貨車操車場が見えてきた。
この操車場を、いまどき、どれだけ活用しているのかは定かでないが、

残っていること自体、珍しい。
イタリアは国有鉄道のゆえ、いまだに、こういうものを抱えているのだろうか。
車掌が検札に来た(検札は必ずある)。
きょうは、レイルパスに(列車を利用する旨を示す)日付けを記入することを、

ころっと忘れていた。
車掌が、自分のペンを取り出して、記入してくれた。
まったくこちらの落ち度(規則違反)なのだが、咎めることなく、

罰金も取らずに、パスを返してくれた。
〜〜〜〜
ヴェローナ・ポルタ・ヌオーヴァ駅に降り、店員に荷物一時預かり所の場所を聞く。
どこの駅もコインロッカーは、置いてあるが、使えない。
4、5日後に乗るつもりの列車の予約をしようとしたが、窓口は長蛇の列なので、やめにする。
〜〜〜〜
駅のトイレはだいたい、備え付けのコイン挿入口に、料金60チェンテージミ分を入れ、

バーを押して入る、ようになっていた。
掃除のオバサンが入口にいて、小銭を受け取る、というのは、もう見かけなかった。
この器械、5から50チェンテージミの硬貨しか受け付けない。
おつりは出ない。
入口に二つある器械のうち片方は、概して故障している。
金を入れてもぜんぜん反応しないもの、呑み込んでしまうだけで、返してくれないもの、

などがある。
旅行者はけっこう、苦労し、損もしている。
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駅を出て東へ向かい、ポルタ・ヌオーヴァの左手を通り、
(行き来する車の数に比べると)広すぎるポルタ・ヌオーヴァ通りを北へ歩く。
歩行者もまばらにしかいない。
ブラ広場の入口まで来たら、そこは観光客で溢れていた。
駅から延々とここまで歩くひとは、余りいないようだ。
カステル・ヴェッキオへの道を教えてもらおうと、2、3人に聞いてみたが、
いずれも、旅行者だった。
落ち着いて風采を見、土地のひとと思しき人に当たりをつけ、尋ねると、
城へ真直ぐに至る道を、教えてくれる。
遠くに城の先端が見える。
城を見、橋を途中まで渡って、引き返した。
その途中で、キノコ入りのパンツェロッタと
モッツァレラの載ったピッツァを買うが、
このピッツァは、値段も少し高めだったが、値段相応においしかった。
マッツィーニ通りに入り、エルベ広場、シニョーリ広場を抜け、
Arche Scaligere(廟)のところに来ると、
地図とガイドブックを持った3、4人のグループがいた。
ドイツ語を話しているので、声をかけ、Casa di Giulietta への道を聞いてみた。
「この近くだと思うのだが、その道をゆくのだろうか?」
「うん、この近くだと思う。」
「まだ見ていないのか。」
「見ていない。」
その中年の男は、4、5メートル先の仲間のところへ行ってから、戻って来て、
「その建物の間の道を出てから左だ。」
と教えてくれた。
その角を、左に折れた途端、呼び込みの店員が、
「ピッツァがおいしいよ。」
「もう食べた。」
(何も聞かないのに)
「ジュリエットのハウスは、この先19番」(19ではないようだ。聞き違いか?)
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