'01年・ドイツ再訪の巻
12.ハンブルク(港巡りと鬼瓦)
 ベルリーン・ツォー発7時51分の ICE 1634 で、9時59分にハンブルク・ハウプトバーンホーフに着いた。
 町の中心街への出口とは反対側(東側)のキルヒェンアレー口へ出たが、
 周辺は、このあたりの土地柄か、あるいは週末のせいか、ひと癖ありげな連中がそこここにたむろしたり、徘徊したりしている。
 ホテルまで、近道をしようと、一本だけ裏の通りを回ったのだが、
明らかに身を売ることを生業としていると見える女性が、ひとりづつ、ある程度の間隔をおいて、建物沿いに立っていた。
 ホテルは、広い通りの角に立つ、大き目の、やや装飾的な建物ゆえ、すぐ見つかった。
 ハンブルクでの宿は、ちょっと用心をして、無難なところにした。
 荷物をおいてから、こんどは、裏通りを避け、大通りを通って、駅へ戻った。
Sバーンに乗ろうと、構内を見渡したが、その番線あるいは乗り口を示す標識が見当たらない。
 売店で聞いたら、Sバーンは、乗り場が新しく造られた、東の出口を出て、すぐのところに Sバーンへの降り口(入り口)がある、ということだった。
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 ハンブルクの Uバーン(地下鉄)は、地下も走るが、港沿いは地上部を、しかも高架を走って、それからまた、地下へと潜る。
Sバーン(郊外電車)は町中はだいたい地下で、しかも中央駅とか港巡りの船着き場近くのランドゥングスプラッツ駅では、地下深く、Uバーンのそのまた下を走っていた。
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下の写真: 20世紀初頭のハンブルク港
Der Hamburger Hafen. Um 1912

Aus "Deutsche Geschiche und Kultur"
Max Hueber Verlag, Ismaning bei Müchen, 1872, S.110

 11時すぎ、ランドゥングスプラッツで降りてすぐの埠頭から船に乗った。
 二階の甲板に昇り、船べりの、テーブルを挟んだ4人席に座る。
 すぐにまわりの席もいっぱいになる。
 メニューが置いてあり、給仕が注文を取って歩いている。
 こちらは、手持ちの生ハムやチーズのたっぷり挟まったブレートヒェンを食べながら、缶ビールを飲み始めた。
 大抵の連中は注文をとりに回ってくるボーイから、飲み物や食い物を運んでもらっていた。
 向こう隣りの老夫人ふたりは、ワインの小ビンを注文し、グラスで飲み始めていたが、
そのうちの一人がこちらを見て、目を剥いている。
 われわれは違反をしているわけではない。
 ゆっくりと、十二分に昼食をとった。
 いい気持になったころ、12時きっかりに、出航した。
 乗船のとき切符を切っていた中老年の男が、出航後、マイクを手に、ややかん高いドイツ語で、熱弁をふるう。
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 下船後、またSバーンに乗ったり、降りたりしながら、中央駅の方向へ向う。
 駅近くのデパートの地下で、適当にトスカーナのキャンティ・クラッシコなるものを求めた。
 さらにリンゴ、トマト他あれこれをカートに載せ、レジへ行く。
 レジの、恰幅のいい婆サンが、リンゴ、トマト、グレープフルーツを脇に除け、
 「これは計っていない。」
 「どこで計るのか。」
 「向こうの果物が置いてあるところで。」
 仕方がない、それらを持ち、大回りをして、果物のコーナーへゆくと、なるほど、秤りがある。
 その秤りの上部のパネルに、百ほどの果物の絵柄が見え、その脇に番号が付いている。
 ただ、やり方がわからない。
 脇にいた中年の婦人に聞くと、親切に教えてくれた。
 果物のケースには番号が振ってある。
 果物をビニール袋に詰めて、秤りに載せ、絵柄の脇の番号を押す。
 重さと値段を印字した貼付シールが出てくる。
 それをビニール袋に貼って、レジに持ってゆく、という手順だった。
 中には、グラムではなく個数でいくらというのもある(グレープフルーツなど)、ということも、かの婦人に教えてもらった。
 ふたたびレジへ行くが、かのバアサンがグレープフルーツについて、早口で文句を言う。
 こちらも、さっき仕入れた話の請け売りで、
 「それは一個いくらのもの、値段はこれこれ、シールを貼る必要がないものである。いま聞いたばかりだ。」
 例の親切な婦人も離れたところから駆けつけてきて、加勢をしてくれる。
 鬼瓦のオバサンは、顔色ひとつ変えず、こんどははっきりと、
 「これは代金を受け取っているから除けたのだ。」とにべも無い。
 そういえば、この店は、肉売り場の若い女も、無愛想で言葉が少なく、注文するのにやや手間取った。
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