'01年・ドイツ再訪の巻
11.ペルガモンとツォーと肉やの兄チャン
 朝の9時半。
 ツォー駅にはダフ屋が横行していた。
 自動販売機で切符を買おうとしていると、寄ってきて、売り付けようとする。
 高くではなくして、安く売り付けようというダフ屋である。
 「8時半から2時間有効の券だから、まだ使える、4.20DMの切符を、3DMで買わないか?」というような誘いをかけてくる。
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 Sバーンに乗り、フリドリヒシュトラーセ駅で降りる。
 土地の人とおぼしき七十前ぐらいの爺さんにペルガモンへの道を聞く。
 一緒に来い、と言うので、付いてゆくと、電停に連れて行き、これに乗ればすぐだ、と言う。
 町を見るため歩いてゆきたい旨を言って、道を教えてもらう。
 礼を言って立ち去る前に、思い付いて、この町の事を知っているかどうかを聞く。
 よく知っているというので、今の案内書には載っていない東南端のトレープトの公園(ロシア兵士の墓)のことを聞く。
 「今でもある。壊してはいない。ほとんど人は訪れないが。」とのことであった。
 二十年前には衛兵が立っていたノイエ・ヴァッヘ(東西ドイツ統一の後、もとの名称に戻った)のことや、
当時、唯一の東西の出入り口だったチェックポント・チャーリーのことなども聞いた。
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 ツォー(ロギッシャー・ガルテン)駅のまん前にある、ツォーロギッシャー・ガルテン(動物園)を覗いてみた。
 Panzernashorn(インドサイ・鎧犀)というのは、実物を始めて見たのだが、どうもどこかで見たことがあるような気がした。
 帰国してから、思い出した。デューラーの作品だった。
アルブレヒト・デューラー:「犀」
1515年、木版画

cf.「デューラー版画展」(西武美術館、1980年)の図録から
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 宿のすぐ近くに、小振りのスーパー・マーケットがあった。
 ここには三日通い、夕食の仕入れをした。
 店のいちばん奥の肉やのコーナーに兄チャンがいて、仕切っていた。
 2日目には、「また来たよ」と言って、やたら種類のあるハム、ソーセージ類のことを聞いた。
 あれこれ味見をしてみたいと思い、このヴルストを1個、こちらのを1個、とか言うと、
 「オーケー、これを2個」
 「いや、1個だ。」
などと、他愛のない遣りとりをした。
 いたって気のいい人だった。
 この地で、以前、大いに嗜んだタマネギソーセージ(ツヴィーベルメットヴルスト:Zwiebelmettwurst)に、やはり二十年振りに出会った。
 これは、冷蔵庫があれば、3日はもつが、無ければ、1日しかもたない。
 兄チャンに、なんでタマネギと言う名が付いているのかと聞いたら、
奥に行って、何か小瓶に入ったものを持ってきた。
 それはみじん切りしたタマネギを乾燥させたもので、見た目には、胡椒ほどの粉末だった。
 これをブタ肉を刻むときに混ぜるのだそうで、そうすることでナマだけれども3日ももつのだそうだ。
 入れなければ、冷蔵庫でも1日しかもたない、ということだった。
 「また、明日も来るよ。」と言って、店を出た。
 3日目には、これで最後なので、この店には兄チャンと、もうひとり、人の好い、堂々たる恰幅のオバサンもいたが、それぞれの写真を、記念に撮らせてもらった。
 馴染みになった兄チャンには、小生はホームページを開いている、日本に帰ったら、少しプロパガンダをしてやるよ、と言って、別れた。
 食料を手に、3軒ほど隣りのホテルの玄関のドアのカギを開けようとしていると、かの兄チャンが、追いかけて来た。
 自分もメールアドレスを持っている、と走り書きをした紙片をよこした。
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 この宿の朝食は8時からだが、明日は朝早い電車でハンブルクへ向う予定である。
 「その日は普段より早めに食事ができないか」と、着いた日に、あらかじめ打診をしていたが、
「何時からか」「7時はどうか」「それは無理だ」ということだった。
 それで、この日の夕方、
 「あすは朝食を取らないでチェックアウトをする。部屋代は、いま前もって払いたいが」
と言うと、計算をし始めた。
 ファクシミリでの契約では、ひとり1日 80マルクということだったから、単純計算では1日 240 になるところを、
「264 だが、いいか」と言ってきた。
  10%のサーヴィス料を上乗せしてきたな、と思ったが、
ここは南欧の人たちのグループでの経営と見たし、
また、今朝、「テレビの映り具合が悪い。天気予報も見られず、不便だ。」と文句を言ったら、
 「調べたら、テレビが壊れていた。」と、さっそく新品のものに替えてくれた、
ということで、まあ、仕方がないか、と、
言いなりに、3日分の合計 792マルク(4万4千円余り)を支払った。
 ここが、今回の旅で、他とさほどの差があるわけではないが、一番高かった。
 「カギは部屋のテーブルの上にでも置いてってくれればよい。ポケットに入れたまま持って行ったりしないでくれ。」
 建物の入り口のドアはカギがなくとも中からは開くようになっていた。
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