'01年・ドイツ再訪の巻
6.ICE の予約席 ― ニュルンベルクへ
 今日は、この宿を引き払い、ニュルンベルクへ向かうので、身支度をし、荷物を持って、7時半に階下へ降りる。
 しかし、1階のフロントおよび食堂へ通じるフロアのドアが、締まったままである。
 ブザーを押してみるが、ランプが消えていて、鳴らない。
 小さなのぞき窓から覗いてみるが、なかは暗いままである。
 朝食は7時半からのはずなのに、さてどうしたものか、と思ったところに、女主人の娘さんらしき人(顔がよく似ている)が、かの犬を連れて玄関から入ってっくる。
 わけを話したら、ノックはしてみたか、と言う。
 ひと気のない朝早くに、こちらの人のように勢いよく「コンコンコンコン」とノックをするのは、我々にはためらわれる。
 その娘さんはカギでフロアのドアを開け、
 「来たばかりのメートヒェンが、まだ慣れていないので、つい寝込んでいたようだ、申し訳ない」と言い、
食堂横の控え室で寝ていた食堂の係の小娘をたたき起こし、
 「食事はすぐ出させる。コーヒィかティーか。」
てきぱきと朝食の指図をしてくれた。
 食事のあと、宿賃の精算のときも、
 「タクシーを呼びますか? オー、歩いて? わかった。これから郷里へ?」
 いや、ニュルンベルク、ライプツィヒ、ベルリーンと回って行く、と言うと、
 「それはすばらしい。Viel Spaß !(楽しんでください)」
〜〜〜〜
 ミュンヒェン始発の新型のインタ・シティ・エクスプレスがホームに入っている。
 発車まではまだ20分以上、間があった。
 適当な2等車に乗り込んで、予約の札が入っているかどうかと、窓の上部や座席の脇を捜した。
 しかし、どこを見ても、予約の表示らしきものが見当たらない。
 ホームに降りて、勤め人風な中年の男に聞いたら、紙かプラスチックの札が差し込んであるから、それを見ればよい、という話。
 それはわかっているが、その札がぜんぜんない、ひょっとして電光掲示か何かなんだろうか、と言っても、どうも埒があかない。
 再び車内にもどり、あたりを見回したら、旅に馴れた感じの、粋な格好のお婆さんがいた。
 聞いてみたら、やはり電光掲示だと言う。
 「電気がひとつもついていないではないか。」と言うと、
 「発車10分前に表示される。それまではどの席が空いているかが、わからない。まったく腹が立つ。」
 コンパートメント付きの列車は最近少なくなった、ということも聞いた。
 確かに、発車10分前に点灯した。
 その車両内はほとんど塞がっていた。
 どこの席も reserviert(予約済)とか ggf reserviert(場合によっては予約)と表示された。
 それで、荷物を担いでホームに降り、ずっと前の方の車両へと移動した。
 その後、こつが分かってきた。
 だいたい中程の車両から、予約を入れて行くようであった。
 それで、日本の新幹線と同様、先頭か後尾の車両、ときに喫煙車(煙が立ちこめるほどに吸う人はまずいない。そして禁煙車が混んでいても、ここは空いたままである)に乗ればよい。
 そういう車両は、ほとんど予約が入っていない。
 この後は、予約などぜんぜんしないで ICE に乗っても、何の不都合もなく、だいたいは楽に座って、旅行をした。
〜〜〜〜
 ニュルンベルク中央駅の駅舎および駅前周辺は工事の最中だった。
 駅のすぐ前に旧市街への入り口の頑丈な城門が見えた。
 そこを巻くように回るか、あるいはまっすぐ地下道を通っていけば、程ないところに、ホテルをとっていた。
 そのホテルは造りがごつい、よく言えば重厚な、建物だった。
 パンフレットによれば、1889年に建てられた由。
 そこに荷物を預け、ゲルマン国立博物館へ向かう。
 中にはかなりの数の展示室が錯綜して連なり、まさに迷路に入り込んだようだった。
 くたびれ果てて、地下のレストランの席にへたり込んだ。
 お昼を食べて、いくぶん体力を回復し、さらに町中へ入る。
 暑すぎるぐらいの陽気になってきた。
 歌を歌っている女がいた。
 何語で歌っているのかわからなかった。
 合間に聞いたら、ロシア語ということだった。
 ニュルンベルクは、例えばレーゲンスブルクなどに比べれば、その建物や城壁や教会の規模が大きい。
 石畳みの石も大きい。
 塩で締めたザルディーネ(サーディン)を挟んだブレートヒェンを見かけたので、試しに買ってみた。食べ始めは、変哲もない味と思ったのだが、慣れたら、けっこううまい。
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