'01年・ドイツ再訪の巻
4.ミュンヒェンの宿、そしてピナコテーク
 きのうは、駅前を南へ下るシラーシュトラーセをしばらく歩き、ペッテンコーファーシュトラーセで左折し、二つ目の角から二軒目の建物に宿の看板を見つけた。
 しかし、その建物の前まで来て、入り口はどこかと、周りを二度ほど行き来した。
 建物の敷地内に、南の門から入り、西向きの Haustür(建物の正面入口のドア)の前に立つと、目の前のドアには、明瞭に女歯科医なにがしの文字が見える。
 ぐるっと回って北の入口に行くと、そこには Praxis (診察室)ドクターなにがしの表示がある。
 やむをえず、通りに戻って、隣のレストランで尋ねた。
 すると、呼び鈴を押してみたらどうか、という話。
 なるほどそうか、とりあえずブザーを鳴らしてみるべきか。
 正面入口に戻り、石段を上がってみた。
 そして、ひょいと右手をみたら、何のことはない、他にもあれこれの名前があり、1階と2階が目指すパンズィオーン(ペンション)のようだ。
 それで、その名前の脇のブザーを押してみたら、長めの低いブザー音が返ってきた。
 鳴っているあいだにドアを押して入った(という仕組みになっていた)。
 フロントで、建物のカギと、2階のフロアのドアおよび部屋用の兼用のカギ、とを渡される。
 このときまで、フロアの出入り口にもカギが掛かっていることを知らなかった。
 1階にも2階にも、他の人が住んでいる部屋がある。
 そういう部屋には Pension の部屋番号はついていない。
 歯科医は4階だった。
 カギを持ちっぱなしなので、宿の出入りが自由で、面倒がない。
 朝食の時には、フロントおよびウェイトレスに会うが、その後は翌朝まで顔を合わせることはない。
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 朝は、旅の間はいつも、5時半ごろには起きた。
 そもそも、夜の8時にはベッドに入っていたから、暗いうちから目が覚めた。
 この日のミュンヒェンの日の出は 06時01分、日の入りは 20時38分。
 朝食は、いつもブロート(ブレッド)やブレートヒェンにあれこれのヴルストやシンケン(ハム)、チーズが主だが、このたび気がついて、すっかり嵌って(?)しまったものに、ミュースリ (Müsli) がある。
 このミュースリなるものは、どこの宿にも用意してあった。
 これは、綴りから推してバイエルン南部かスイスあたりが出どころであろうが、一種の加工穀物食である。
 英語名ではシーリアルズ(cereals)で、オート・ミールとかコーン・フレイクスなどにも通ずるものと思う。
 が、名前が違えば、とうぜん中身も違う。
 それぞれ、加工の仕方とか、味付けなどが、微妙に異なるのではなかろうか。
 ミュースリはかなり歯応えがあり、甘味はほとんどない。
 それゆえ、主食の条件である、飽きない味、と思えた。
 帰国してから、調べてもらったが、日本でも輸入していた。
 そして、スイスから輸入したミュースリとイギリス製のシーリアルとでは、やはり味が違った。
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 宿の近くのゼンドリンガー・トーアから 27番の市電に乗り、ピナコテークで下車する。
 ノイエ・ピナコテークとアルテ・ピナコテークの東側の通りに電停があった。
 ただし、最近の案内書などの地図には、SバーンとUバーンの路線は表示してあるが(これだと降りてから、少々歩くことになる)、市電の路線図は載っていない。
 市電のことは宿の女主人に教えてもらった。
 何番の電車かは、ゼンドリンガー・トーアの電停で、そばにいたお年寄りが教えてくれた。
 ただ、乗ってから、揺れる車内で、乗車券の自動販売機の細かい字には難儀した(近眼かつ老眼ゆえ)。
 結局、悠長な判読作業は止めにして、すぐ脇に立っていた若い女の人に聞いて、やっと券を手に入れた。
 そんなことでもたもたしていると、かのお年寄りが、もうすぐピナコテークに着く、と声をかけてくれた。
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 旅行前に、明るい F1.4 の交換レンズを購入したのは正解だった。
 高感度の ISO 400 のフィルムを用意したこともよかったような気がするが、ぶれにくいのはいいとして、ちょっと粒子が粗くなってしまった。
 フラッシュを焚かず、三脚を使用しない、この二つを守れば、ピナコテークに限らず、以後、どこの博物館、どこの美術館でも撮影可能だった。
 いちいちそのことを表示しているわけではないので、監視人にその都度、伺いを立てたが、断わられたことはいちどもない。
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